「剣光」
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第二章 魔の章


 世界は赤く曇っていた。
 天に向かって猛る炎が、思い出と一緒に全てを食い尽くしていく。
 自分の育った家が燃えていくのを、ただ見ていることしか出来なかった。
 風が強かった。煽られた煙が草むらの中にまで入り込んでくる。炎の臭気に混じって、血肉の焦げる饐えた生臭い匂いが鼻をついた。鬨の声も悲鳴も、もはや聞こえない。戦いの趨勢は決していた。否、始める前から決まっていたと言ってもいいだろう。
 逃げ場はない。村の中で火がかけられていない家屋は、もう残ってはいない。
 村の外は……論外だ。そもそも出ることなど出来ない。結界で閉ざされたことの意味は一つだ。
 俺達は、ここで皆殺しにされる。
 日ノ宮の力は圧倒的だった。話には聞いていたはずなのに、理解していなかった。質、量、共に御焚一族の比ではなかった。村の周囲に三重に張り巡らされていた結界は、全てこじ開けられ、破壊された。道士たちの呪いは跳ね返され、放った当人たちを喰い尽した。迎え撃った手勢は破られ、散り散りになった。自分以外に生き残った者がいるのか、それも不明だ。分かっているのは死人だけ。養父母、義兄、そして数少ない友人たち。少なくとも彼らの死に様は、まだ瞼にこびり付いて離れない。
 煙と熱波で、夜が歪む。舞い散る火の粉が蛍のように明滅する。心臓が脈打つ度、鼓動と共に、灼熱の塊が脳髄に駆け上がってくる。
 全滅。
 自分も駄目だ。生き残れない。この深手では、逃げることも出来ない。彼女を連れ出すことも。
 視線を落とす。左手は肘から先が無くなっていた。傷口近くを布切れできつく縛り上げたが、応急措置は所詮気休めだ。出血が抑えられない。
 術者だけじゃない。剣士の質の差も、この通りだ。
 体力は刻々と流れ落ちていく。血痕は敵に自分の居所を教えるだろう。傷を焼き潰す手もあったが、血を流しすぎた今となっては、どのみち手遅れだ。もう歩くこともままならない。
 腰が震えた。体を支えることが難しくなってきたのだろうか。身を起こしていることを諦め、仰向けにひっくり返った。
 空は黒煙に覆われていた。煙の切れ目から、星の冷たい光が覗いている。それが妙に遠く感じられた。
 彼女は逃げられただろうか。
 無理だろう。この包囲を潜り抜けることは出来ない。まして一族の頭領である彼女を、日ノ宮が見逃すはずがない。先の運命は、もう曲げられない。
 心が軋む。思い出が、過ぎた日の影を呼び起こす。
 それでも、誓ったはずではなかったのか。彼女を守ると、いつ如何なる時も傍に付いていてやると、宣言したはずではなかったのか。
 ――。
 駄目だ。心までもが折れてしまった。肉体的にも精神的にも、立ち上がる力は残っていない。
 涙も流れなかった。謝罪の言葉らしきものが浮かび上がり、形を結ぶ前に溶けていった。心の影も、遠ざかる。それにつられるように、眼前の夜空も霞み、崩れ始めた。
 俺たちが間違っていたのか。表の世界に姿を現すことが、そんなに許しがたいことだったというのか。
 ――少なくとも、日ノ宮にとってはそうだったのだろう。
 神力が表の世界に姿を現せば、世は変わる。人々は異能者を排斥し、あるいは抱え込み、相争い、利用し、混沌と乱れて惑う。それは誰にも予見できることだった。
 その上で、彼女は敢えて表の世界に出ようとした。陰に閉じこもる生き方が我慢できなくなったというのも、もちろんあったろう。しかしなにより、神を気取ることが出来なかったのだ。
 なんのための力か。
 それが口癖だった。神力が世の役に立つのなら、何故これを活用しない手があるのかと。
 欲により発した争いには手を貸さず、困窮する人々を助けるためだけに使うことで、よりよい世の中を作る手伝いが出来る。
 甘い理想。しかし行く手の障害が見えていても、その道を共に歩こうと決意した。自分だけでなく、一族の多くの者も。
 その矢先だった。
 息が遠くなってきた。土の底から呼吸をしているようだった。空気が、胸に届かない。
 日ノ宮はどこまでやる気だろうか。同盟を結んだ地侍たちも、まとめて滅ぼすか。
 あり得なくはなかった。記憶を封じて回るには、数が多い。それに、彼女の力で救われた村は、近隣に五つはある。その全てが、やがてここと同じように、炎に呑まれるのだろうか。
 もっと力があれば、負けなかったのだろうか。
 日ノ宮に、世に、そして宿命に。
 もっと力があれば、守れたのだろうか。
「絶望の裏に渇望。なかなか良い歪みをお持ちのようですね」
 聞きなれない、若い男の声が降ってきた。幻聴。そう片付けて、目を瞑る。無明の闇が脳裏に広がる。
「巨大な執着。乾き凍てついた怨念を感じます。底知れぬ飢えも」
 うるさいと思った。そんなものが残っているはずがない。
「それが満たせるか否か、私に保障はできませんが、そのための時間と力を与えることは出来ます。どうします? その飢えを追いかけてみますか?」
 煩わしい。出来もしないことを、軽々しく語るとは。今わの際になっても命を惜しむ自分に、腹が立った。
「選ぶのはあなたです。これをどうするのか、ね」
 その声と共に、不意に、何か糸のようなものが、顔に降ってきた。驚いて目を開ける。
 最初に気付いたものは、傍らに立つ人影だった。長身の男、のように見える。目がかすんで、輪郭がしかと見定めがたい。しかし、幻ではない。
 そして、それに気付いたのは、鼻だった。溢れる悪臭の中に漂う、嗅ぎなれた愛しい香り。甘くはないが、清々しく脂気のない、若葉を思わせる香りだった。
 身を起こす。残された右腕で、胸元に散らばったものを拾い集める。
 髪だった。
「先に言っておきますが、私が殺した訳ではありませんよ。見捨てたという言い方は出来るかもしれませんが、もともと私にあなた方を手助けする義理はありません。それは私ではなく、あなたの役目だった」
 淡々と告げる声が、頭蓋を通り抜けていく。反響が走ったかのように、指先が微かに震えた。
「まあ、終わったことをどうこう言っても詮無きことです。もう一度尋ねます。あなたの望みは、どちらですか?」
 言葉は返しようがなかった。舌が痺れて喋ることが出来ない。
 求められていることは、何故か、分かった。
 右手で、かき集めた髪を握り締めた。それを気力を振り絞って持ち上げる。鼻先に近づけると、若葉を思わせる香りが強くなる。
 それを、一口で呑み込んだ。
 口の中で硬い繊維が跳ねた。強引に咀嚼し、飲み下す。喉に引っかかったのを、指で押し込んだ。
 途端、体の髄に、痺れが走った。
 胸に火がついたようだった。否、宿ったのは氷だろうか。刺すような痛みは、熱いとも冷たいとも表現できる。それが、急速に全身に広がっていく。細胞の一つ一つが裏返っていくような人知を超えた痛みに、獣じみた絶叫が湧き上がる。
 痛み方の最もひどいのが、左腕の傷口だった。行き場を見失った痛覚が、内から傷口を突き破ろうともがいているかのように、異様な圧迫が集中している。苦痛はやがて左腕から遡りはじめ、顔の半面を通って頭頂にまで達した。地面を転がり絶叫しながら、しかし何故か、涙は流れなかった。
 恐らく、もう痛みではこの先泣くことはないだろう。
 頭上で男が、首をかしげる気配があった。
「確かに太刀が予期したのはあなたのはずなんですが……。少し拒絶反応が出てしまいましたね。本当ならばその左手も再生するはずだったのですが」
 目をやれば、左の袖は依然空虚に潰れている。
「まあいいでしょう。これよりあなたは、我らが同胞。それでは早速で悪いのですが、一働きしてもらいましょうか」
 朦朧とする頭でも、男が何を言いたいのかは、即座に理解出来た。別に言われるまでもない。命令などなくても、そうするつもりだった。
 苦痛の残滓を振り払うように、膝を突いて立ち上がる。向かい合った男は、声の通りの白く美しい面立ちに、菩薩を思わせる微笑を浮かべていた。その片腕に、美しい立ち姿に似合わぬ、黒塗りの鞘に納められた長大な刀があった。
「体は平気ですね。ではこれがもう一つの約束のものです」
 言って、男は惜しげもなくその太刀を差し出した。
「使いなさい。あなたの太刀です」
 右手を柄にかけた。刹那、鋼の重い手応えが腕に掛かり、すぐに消えた。気が付けば抜き身の太刀が右手に収まっている。月光に消える影のように、溶け落ちるようにして鞘は消え失せ、鏡のごとき刃が覗いていた。
 木刀、いやそれ以上に軽く、手に吸い付くような握り具合。確かめるうちに、心が凍っていく。
 男に背を向け、村を見た。火は若干弱くなってきたようだったが、まだまだ勢いは失われていなかった。
「さて、炎が消えるのが先でしょうか。それとも」
 陽気と言っていい声で、男が呟く。無視して、一歩を踏み出した。
 炎の照り返しに、手にした剣が笑うように輝いていた。


 悪夢の続きは、現実に吹き付けた殺気だった。
 跳ね起きる瞬間には、もう右手は腰に伸びている。探る必要はなかった。得物の方でも常に主の掌を求めている。伸ばせば、そこに飛びついてくる。
 鞘を払う必要のない剣が手に収まり、無音の声を発した。それに応えて、握る力を強める。
 構える暇もなく、左から右へ、一息に振り払う。鋼の砕ける悲鳴じみた音が、続けざま、宙に弾けた。
 ややあって、さも愛想といわんばかりの、気のない拍手がそれに続く。
「さすがっすねぇ。いつ見ても良い切れ味っす」
 とぼけた声と共に廃屋の薄闇から姿を現したのは、緋色の制服に身を包んだ、痩せた男だった。頬骨の浮き出た不健康そうな顔の中で、蛇を思わせる目だけが、炯炯と輝いている。
「へへっ、もちろん、あんたの腕も大したものっす。その刀に直々に選ばれただけのことはあるっすよ」
 カーペットの上に散らばった銀色の欠片を踏みつけ、薄笑いを浮かべる男の目には、獲物を前にして出方を図るような、奸智の光があった。
 身を預けていたソファーから完全に起き上がり、凶眼を光らせる男と対峙する。
 放棄されて一年ほどといった様子の、廃ホテルの一室だった。
 家族連れなど、4、5人の客をまとめて泊めるために作られた部屋だったのだろう。普通の客室を二つ繋げて広くしたような構造だったが、染みの浮いた無地の壁紙、シンプルな作りのフロアスタンド、床に散らばったプラスチックのハンガーなど、往時を思わせる内装の名残は、さほど豪華というわけではない。使っているソファーなどは、他から持ち込んだものだった。
 夜露がしのげればそれでいい。人に交わって暮らすことは、もうすまいと決めていた。それ故の仮住まいだった。無論、ただ適当な廃墟を探し当て、根城にしているだけではない。ここにも、住み着いて以来、肝試し目的の好き者やホームレスの類が入ってきたことは、一度もなかった。
 死に絶えた空間に満ちる、冷たい気配。廃墟特有の空気と言い切るには、それは物理的な圧迫が強すぎた。電気の切れたはずの電灯から注ぐ光は、無機質な白でも暖色系の赤でもなく、鬼火じみた仄暗い青で、部屋の中を深海のように染めている。そして、部屋の主たる男は、外観こそ人の形だったが、その容貌は蛇眼の男以上に怪奇な異相をしていた。
 年は目の前の男とさして変わらない、二十前といったところ。皮のジャケットに丸首、ジーンズ、全てが黒尽くめだった。前は目にかかるほどに、後ろは肩に届かんばかりに伸びた蓬髪。その下に覗く目は剃刀を思わせる切れ長。低い鼻や引き締まった頬と併せれば、山篭り中の武道家か、若い修験者のようにも見える。異様なのは、顔の左半分を覆う、黒い痣のような紋様だった。波打つ炎のような形のそれは、シャツの肩から伸びて、前髪の中に消えている。刺青にしては光がなく、痣にしてはくすみがない。自然な皮膚の一部として、そこにあるようだった。
 そんな男の異相も、時ならぬ客には馴染みのものらしく、注視を引くこともなかった。蛇眼の男は笑いながら、馴れ馴れしい口調で言葉をかける。
「ほんとは俺にも自身はあるんすけどねぇ。不公平っすよ。なんで俺らには使えないのやら」
 男は表情を変えることなく、さも面倒といった調子で、ゆっくりと口を開いた。
「人を叩き起こしておいて、言うことはそれだけか、蜈蚣」
「あ、村雨(むらさめ)さん、ひょっとして怒ってるっすか? だったらどうしたらいいっすかねぇ」
 軽薄に喋り散らす蜈蚣を、半眼で睨みつける。
 村雨。それが現在の男の名だった。冥界の眷属と成り果てた時点で、人だった時の名は捨てている。失ったのは名だけではない。かつての生活の記憶さえもが曖昧だ。覚えているのは、炎と絶望と、飢え。
 以来……。
「へへっ、たまんないっすねぇ。こうしてるだけでゾクゾクしてくるっす。あんたとは前々から闘りあってみたいって思ってたんすよ。お相手願えるんなら嬉しいっすね」
 手にしたナイフに舌を這わせ、蜈蚣は喜悦の笑みを浮かべる。その鼻先に、村雨は白刃の切っ先を突きつけた。
 大きな刀だった。全長は一メートル以上もあるだろうか。握る柄は黒漆で固められ、丸型の鍔も黒い鍛鉄製だった。白い刃は月影じみた光を浴びて、燐のような光沢に包まれている。刀身を走る刃文は波打つ乱刃(みだれば)だったが、いかなる細工の結果なのか、牙のような猛々しい鋭角が連なっていた。
 その刃文に、ゾクリと、脈打つような赤光が走った。
 無言の恫喝を前に、わざとらしい舌打ちを鳴らし、蜈蚣は一歩下がる。
「無粋っすねぇ。その刀の力をフルに使われたら、俺が不利になるに決まってるじゃないっすか。俺は純粋に力量の勝負がしたいんす」
 太刀を下ろす村雨は、突き放すような冷淡な声で答える。
「お前の座興に付き合うほど、俺は暇じゃない。用があるんだったら早く言え」
 すげない返事に、蜈蚣は鼻で笑って答えた。
「こりゃまた説得力の無い嘘っすねえ。忙しいってガラじゃないっすよ、村雨さん。だいたい辻斬りが忙しい仕事だなんて、聞いたことがないっす」
 辻斬り。一般に言われるそれは、近代以前における、困窮した浪人が金品目当てに働く強盗殺人や、武芸者崩れが他者の血を見て愉悦に浸るための行為を指している。
 村雨にとってのそれは、修行であり、食事であり、そして、やはり強盗殺人であった。
「この間のドンパチで、日ノ宮の術師を十人以上切りまくったって聞いたっすけど、そんだけ喰ってもまだ足りないんすか、その刀?」
「刀じゃない。俺が足りないんだ」
 答える村雨の目は昏い。言われて、いま急にその飢えを思い出したかのように、声の調子も低くなる。
「まだまだ足りない。少なくとも、一人であの先代の日神子を殺せるくらいの力が得られなければ、満足はできない」
 このセリフに、さすがに蜈蚣も失笑を漏らした。
「鬼将様や那智さんに取って代わる気っすか? やめといた方がいいっすよ。人間の力なんかいくら喰ったところで、あの人たちに及びはしないっす」
 それとも、と、不穏に目を光らせる。
「今の脅しはまんざらハッタリでもないってことっすか? 別に構いませんよ、俺」
 対する村雨に熱さはない。ぞんざいな仕草で刀身を肩に担ぎ、醒めた目を返す。
「那智の手前、裔を手にかけるのは控えていたが、たってというのならば是非もないな。だが後にしてくれ。お前なんぞの相手をするよりも、今は先に片付ける獲物がいる。それに、俺は権勢にも女神の目的にも興味は無い。お前たちで勝手にやっているがいいさ」
「言うっすね。鬼将様の不在で、あっちは大騒ぎになってるってのに」
 言いながらも、蜈蚣は陰湿な笑みを浮かべる。
「お姫様の取り乱しようなんざ、もう見てられなかったっすよ。おかげで少し日頃の溜飲が下がったっすけど」
 知らんな、と一蹴し、村雨は見るのに飽きたように、蜈蚣から体を背けた。蜈蚣は愉快そうに、その背中に言葉を重ねる。
「今日も本当はそのことで指示を言付かってきたんすけど、その様子じゃ聞く耳持たないって感じっすね」
「義理は果たすさ。日神子は切る。守も切る。全ての敵を殺し尽くせば、長殿の不在に怯えることもあるまい」
「確かに今の日神子は弱いって噂っすけどね。けど、かえって警戒が強くなってるとも聞いたっすよ。だいたいそんな弱い力を喰ったところで、ろくな足しになるとも思えないっす」
「足りなければもっと切る。それだけだ」
 そう言い捨てる村雨の声は、もはや足元の影に吸い込まれているかのように、全く抑揚を欠いていた。翳った目は、漆黒の鏡と化している窓に、否、その向こうの似姿に向けて、射抜くような視線を送っている。
 それ以上の会話の不成立を予感して、蜈蚣は肩をすくめつつ、立ち去ろうと体を巡らせた。
「私なら日神子の力など、頼まれても願い下げね。殺せればそれでいい」
 突然割り込んだ声に続いて、いつからそこで聞いていたのか、続き部屋から長身の女が姿を現した。振り向いた蜈蚣が「ああ」と漏らす。
 年齢はやはり、十代後半といったところだった。身に着けた緋色の制服は、生地やデザイン的な共通から、蜈蚣のそれと同じ規格のものに見える。服の上からでも分かる引き締まった体躯は、モデルと言われても、あるいはスポーツ選手と言われても通用しそうな、しなやかな躍動感に溢れていた。
「五馬(いつま)さん、しばらくっすね」
「ええ、久しぶり蜈蚣、それに村雨。ちょうどいいタイミングだったみたいね」
 言いながら、部屋に入ってくる。
 耳がすっかり覗く位のショートカットに、やや釣り上がり気味の目、薄い唇に鋭角的な顎と、美しいが見る者を萎縮させるような面立ちをしている。挨拶を述べる間も、そこには微笑の欠片ものぼらなかった。
「打ち合わせに寄らせてもらったけど、あなたがいるのなら先に聞いておきましょうか。例の物は手に入ったの?」
「まあなんとか。苦労したっすよ。京都の神社に祀ってあったっすけど、それを突き止めるのに八雲様の力を借りにゃならんかったし、いざ突き止めて行ってみれば、地元の術者連中が守ってて、これがまた結構やる手合いだったし」
「ご苦労ね。ではこれが約束の品」
 言って、五馬は服のポケットから、何かの包みを取り出した。応じて、蜈蚣も懐から細長い桐の箱を取り出す。
「へへっ、取引成立っすね。じゃあ御用も済んだことだし、俺はこれで」
 言って、蜈蚣は足音を立てずに暗がりへ消えた。
 しいて見送ることもなく、五馬は残った男の背へと視線を巡らす。
 村雨は完全に無視を決め込んでいるように見えた。会話中の二人に声をかけるどころか、視線すら寄越さなかった。依然として、肩に太刀を担ぎ、闇だけが広がる窓の外を睨んでいる。
「あれから一月だけど、その後どう? また少しは強くなったのかしら?」
「計る気にもなれん。その程度の差だ」
「そう。私はこの一月、練気を続けることが出来た。十分な気を集められたわ。こうして触媒も手に入ったし、事を起こすを下準備は、ほぼ整った。あなたの方は?」
「準備など。獲物を切る、切られるより速く切る。事に臨めば、残るのはそれだけだ」
「なら、実行するのに支障はないのね」
 無言。その意図を汲んで、五馬は言葉を続ける。
「結界は私が管理する。当然、式による援護も。あなたは守の排除に徹してくれれば、それでいい。ただし、核となる触媒には手を出されないよう。それだけ気を付けてくれればいいわ」
 微かに、黒い鏡面に映る顔が上下に動く。
「それと約束通り、連中の血肉は全部あげる。あまり手こずるようなら私が殺してしまうけどね。それでいいでしょう?」
「異存ない」
「なら、後は結界を作り上げてからの話ね。早速かかるとしましょう」
 じゃあ後で、と身を翻し、五馬もまた闇の中へと去ってゆく。しかし完全に沈みかけたところで、その背中が止まった。
「でも、分からないわね。あなたも日ノ宮に恨みを持つ者と聞いたけど、日神子などの力まで得て強くなりたいの? 少しは恥ずかしいと思わないのかしら?」
「恥など残ってはいない。俺はただ力が欲しい。それだけだ」
「そ。なら精々その目的に向かって邁進してちょうだい。強くなってどうするのかは知らないけど」
 それだけ言って、五馬は気配を消した。
 残された村雨は、それでもなお窓を睨み続けている。
 黒い瞳は、どこか遠くを見ているようでもあり、何も無い深遠を映しているようでもあった。


(続く)