「楽しかったね、和也くん」
「せやろ? やっぱ休みの日ぃくらいはパーっと遊ばんと、気が滅入るで」
 目の前を歩く二つの影。夕日に照らされ長く伸びたそれは、二人の後に続く私に届き、折り重なるように交わる。それは私が目の前の少女、日神子であるみる様を咄嗟にお守りできる距離であり、振り返った彼女が私にも声をかけられる距離だった。
「楓さんも楽しかった? 遊園地」
 逆光を受け、昏い縁で御身を模られるかのような少女は、私に尋ねながら、まるで次の言葉を強制するかのような笑顔を見せた。それを眩しいと思ったのは、何も太陽のせいだけではないだろう。
 不意に魔が差したように私の表情は一瞬だけ曇った。しかしそれを悟られないよう、私は小さく微笑んでみせると、再びみる様は前を向いて歩き始めた。
 魔が差す、とはやはりこんな時に起こりやすいのか。黄昏の逢魔ヶ刻には、否応なしに人を不安にさせる。自分にはそのような感傷はないと心外を装うが、それでもリアルという事象の影響を受けずにはいられないようだ。
 楽しそうに和也と会話を交わすみる様。そのシーンだけを切り取れば、その少女はどこにでもいる幸せな人間の一人だろう。が、それは有り得たかもしれないという幻視に過ぎない。我ら世界の暗部に生きる者にとっては、凡庸であり平穏である日常は、恒久の羨望とも言える。人外の脅威に日々晒され、明日あるかどうかも知れない命を前に、あんな笑顔を心の底から見せられるのは、それほど尊いことだ。
 あの表情を悲しみに染めたくない、だから戦おう。 
 楽しかった筈の今日という一日は、それでも私にとって現状をシビアに確認しただけだった。私は、知らず奥歯を噛み締めていた。
 と、そこで不意に周りを異様な空気が取り囲み始める。
「…………楓姉さん」
「ああ」
 それでも驚きはすまい。これが我々の日常だ。 
「楓さん!」
 突然、みる様の叫び声が響く。だが何事かと思う間もなく、私は顔面を敵に殴りつけられる。直後に、私は全力で、何の神力も用いず、その化け物を素手で殴り返していた。
 骨の砕ける鈍い音がして、骸じみた黄泉の裔はその場に崩れ落ちる。手に残る砂利の中に手を突き入れたような感覚を不快に思いながら、私は舌打ちした。

 ――――ああ、私は怒っているのだな。

 視界の片隅に私を呆然と見つめて止まっている和也を収めて、ようやくその事に気づく。まったく、感情とは不出来なものだ。
 けれど怒りは刃に、刃は誓いに。
 守るべき主君の後姿を再び目に焼きつけ、身命を今一度胸に潜めた。




 


『楓』
ちまた みうみ






 

 敵の襲撃に遭ってから数分、私は一人夕陽の中を駆けていた。しかし街中にも関わらず人一人会わず車一つ通らない。現実から隔離されたような違和感は、まるで絵画の中の世界だった。これ程まで他者の侵入を拒むとは、結界の域ではなく既に異界とすら呼べる。結界は坊主の専売特許だが、これでは形無しというものだ。
 和也の方は大丈夫だろうか。粗方敵を片付けた後、私はこれほどの術者がいるということはまず頭を叩くべきだと判断し、みる様を任せてやってきた。あの男は性格に多少難こそあれ、十分信頼に足る人間だ。やられるとは思っていないが、庇いながらの戦闘はそう容易いものではない。やはり私は残るべきだったか。
 否、それこそ下策か。敵は何を仕掛けてくるかわからない以上、ただ待つだけでは状況はマイナス方向以外には変わらない。不安要素は残れど、今は自分のやることはやるべきだ。
 まるで“背景”の街灯、ビル、集合住宅。それらは私が走る度に過ぎ去り、消えていく。この様子では、間違いなく誘い込まれているな。
 それでも私は止まらない。それで大本にたどり着けるなら、私は全力で以ってソレを打ち倒すだけだ。
 暫くして、空に浮かんだ赤い太陽が落ちた。沈んだのではなく、落ちた。まるで電灯を消すかのように、夕刻と夜が一瞬にして切り替わった。流石にそれには驚き、目もなれない為に一旦足を止める。その瞬間を狙って、敵は再び襲いかかってきた。
「くっ!」
 無数の獣じみた咆哮と共に、有象無象が飛び掛る。私は見えない眼を見開き、反射的に神力を掌に集中させ、剣を引き抜いた。
 姿がないからには気配を絶つ。どうせ使えぬ目ならば使わない。私は今一度瞳を閉じて精神の集中を図る。
 それとほぼ同時に、圧搾された空気を肌が捉えた。反射的に身をよじり、風の方向に向けて左腕を振るう。握られた剣は、スッ、と確かな手応えを感じ、絶叫を呼び起こした。耳を劈く悲鳴と同時に生温い液体が顔にかかったが、何かは予想がついている。拭う必要もあるまい。
 そうしているうちに、敵のだいたいの位置が把握できた。振りぬいた剣を投げるように右手に持ちかえ、背後から迫る敵を後手で貫く。そのまま押し込むように跳び退り灰塵となった亡骸から剣を引き抜いて、正面にあった首を刎ねた。その際真横から繰り出された拳は、自らの肩口を相手の懐にねじ込むことで躱し、同時に動きを封じたところでわき腹から剣を突き刺し、肋骨を抉りながら心臓を穿った。
 所詮は質の伴わない物量だけの戦術か。攻撃力はありそうだが、緩慢過ぎて話にならない。まあ相手が弱い分には構わないが。
 思考に余裕ができてからは相手の戦力を分析しながらの戦法に切り替える。とはいえ、正直分析する程の力が相手にはなく、行き当たりで対応できる範囲だった。
(妙…………か?)
 この弱さ、少しおかしくはないだろうか。これだけ高度な方法で私を隔離したにも関わらず、まるで倒してくれと言わんばかりの手勢。せめてもう少し手応えがあってもいいのではないだろうか。
 そのうち、暗闇に目が慣れてくると、殆ど舞いか戯れかという世界だった。私の前に屍が転がり、霧散していく。それだけの繰り返し。体力を消耗させようという腹ならば、小出しではなくもっと多数だせばいいものを。策があるにしたのなら、私にはまったく読めなかった。
「――――見事」
 一通り視界に収まる範囲の敵を切り伏せ、最後の一人を胴から両断したその瞬間、いきなり背後から声をかけられた。
「っ!」
 驚いて、私は今までの敵を叩き斬る時以上の勢いで振り返った。それは何か策があるのではと考えていたからか、今までとはまるで異質な声だったからか、考えている余裕もなく。すると、案の定というべきか、雰囲気が明らかに“違う”男が立っていた。
 いや、これは雰囲気とかそういった問題ではない。そこにいること事態が違和感である、さながら幽鬼であった。そして風貌。それが、目の前の男を見る上で、常識という思考論理を崩していた。
「…………何者」
 いや、訊かずともわかる。というよりは、形容できる。かつての日本には、その定義が常としてあったのだ。だが問わずにはいられない。彼の醸し出す気が、並々ならぬ脅威を訴えていたからだ。
 素直に答えが返るとは思っていなかった。けれど、その男は、それが道とでも言わんばかりに、何の臆面も躊躇もなく答える。
「見ての通り、薄汚い時代遅れの浪人だ。士などとはとても呼べん、愚かな身よ」
 そうして、男は自嘲するように歪んだ笑みを浮かべた。
 浪人。そう名乗った男の身なりは、正しくそれだった。元々砂のような色の着物はボロボロに擦り切れ雑巾のようで、伸びた無精髭に背中まで達した髪は、何の手入れもなく不潔さを象徴する。ただ一つ、男の左腕には一振りの刀が握られており、それだけが微かな威光を残していた。
 だがそう驚くこともないか。黄泉の裔は寿命も人間とは違う。彼らが存在した時代より在ったところで不思議はない。
 要は、あれが敵かどうかだ。
「この結界は、お前が作ったのか」
「そうだ。人間長生きをしていると無駄な知識が増えていくものでな、暇潰しに仏門を叩いてみればこの通りだ。ただ拙者は釈迦すら斬るぞ」
 相変わらず会話を惜しまない男は、感情の篭らない声で語るが、その眼だけはギラついたまま私を捉えている。そこに油断はないし、逆に油断すればこちらが斬られる。
 それにしてもこの男、人間と言ったか。なるほど、この男も呪によって黄泉の裔に下ったのか。何の事情があったのかは知らないが、察する必要もなし、みる様を脅かす敵となるのなら、倒すまで。
「来るつもりか。いいだろう、拙者もそのつもりであった。
 外部の事については気に留めるな。伏兵も用意してござらんし、つまらぬ策も弄しておらん。人を虐げるだけの存在が何を言うかと笑うかも知れぬが、刀で戦う以上は正々堂々とあるのが拙者の最後の信義だ」
 そうして、男は苦々しい笑いを口元に浮かべる。
「饒舌だな。しかし信用すると思うか?」
「信用する必要はない。真言ならばそれで良し、罠ならばぬしが謀られたというだけの事。いずれにせよ既に結果は決まっているのだ、知れぬだけでな」
「……………………」
 それはまるで人を食ったよう。だが、不思議と不快は覚えない。
「…………貴様、名は?」
「備前兼光。おぬしは?」
「日向。日向楓だ」
 同時に、私達は一気にお互いの距離を詰めた。
 互いにむき出しの剣を、まずは挨拶代わりにと打ち合う。柄と柄がかち合い、脚の踏ん張りと腕力で拮抗する。
「…………? 貴様その刀、錆びついているではないか!」
 そこで私は気づいた。男の刀は既に錆び、あちこち刃が欠けて使い物にならないことに。見ただけで、そんな刀身はすぐに折れることがわかる。
 男は最初から鞘を持っていなかったが、それは最初からなかったのか。だから風雨に晒しこのような事になったのか。浪人とはいえ侍、刀は武士の魂と言う程だからさぞ刀は大切かと思ったが、この男はそうではないのか。
 わずかな嫌悪を抱いて私は兼光を睨みつけたが、それを流すように男は薄く笑う。
「錆びついたのは拙者の心だ。戦に出るといって、馬に兵法を説いても仕方なかろう。
 拙者にはこれでこそ相応、身に馴染むというものだ。が、不満というのなら拙者を追い詰めてみるがいい、錆びついた刀でも戦はできる」
 言って、兼光はいきなり刀を振りぬき、今まで拮抗していた筈の私を軽々と吹き飛ばした。
「ちっ!」
 空中で姿勢を立て直し、地面を滑りながら着地したが、兼光は既に私を追っていた。
 接地の瞬間に兼光は私の正面から上段で振りかぶり、打ち下ろしてくる。受け止めるには、先の状況を見る限り力では押し負ける。反射的にそう判断し、切っ先を自分の方に向け柄をせり上げ、斬撃を刀身で斜めに受けた。そうして勢いを流すと横に飛びながら剣を引き、弓のように脚を引き絞って、三角を描くように地面を蹴った。
 喉元に向けた剣は、神速の突進力で以って必殺と成す。空振りの隙を突いたそれは、まず受けられない。そう確信したのだが、それは予想外の方法で防がれた。
「速いな。が、それだけだ」
 突然、がん、という金属同士がぶつかったとは思えない、鈍い音がする。実際、金属同士はぶつかっていなかった。私が状況を飲み込んだのは、自分の手の中に既に剣がないことを悟ってからだった。
 兼光は私の剣を殴った。あれほどの勢いの突きを、剣で捌くのではなく、強引な腕力で吹き飛ばしたのだ。地面に突き刺さった私の剣を見れば、刀身が中心からぐにゃりと捻じ曲がっている。
 しかし驚いている暇はない。兼光はゆらりと緩慢な動作で刀を握った左腕を斜めに振りかぶる。その周囲で、ゆらゆらと陽炎のようなものが立ち昇った。
 まずい、そう思った時には、私は地面に身を投げ出していた。
「斬」
 そして斬れた。
 何が斬れたか。それは私が1秒前まで居た場所が。
 地面には亀裂――――否、断層が走りばっくりと割れている。そしてその先にあった街灯も、ずず、と音を立てて二つに分かれると、そのまま倒れていった。
 それを見て、思わず私の背中に冷や汗が流れた。成る程、これでは刀が錆びていようがいまいが関係ないか。
 どうやら、わずかも油断できない相手らしい。それに未だあれは手の内を見せていない。久しく見ない難敵だ。
 ――――仕方ない、多少手の内を見せるか。
 私は腹を決めて、もう一度剣を生み出した。
「ほう、その剣は神力で練ったか。ただの剣士ではないな、流石は日神子の守か」
「それだけではない。これからお前に多少本気を見せる。舐めていると知らない間に首が飛んでいるぞ」
「ク。そうか、それはいい、このような身に光栄なことだ。して、どのような技を見せてくれる」 
 私は兼光の嘲るような言葉を待たずして、剣を構える。水平に、相手を見定めるように。
「私が幼少の頃より修めたるは、神刀の法。それは技に非ず。
 神力とは心の力、そして神刀は心で斬るもの。これは、それ故に“業”だ」
「業、か…………成る程、背負うは何とする?」
 その時、わずかに男の表情が曇ったような気がした。だが、私は気にせず答える。その問いは、既に覚悟。
「主君。そして、私が守るべきものだ」
 言って、一足で男との間合いを詰める。その速度は先の突進を凌駕する。これには兼光も驚いたか、あの妙な見えない斬撃も繰り出せない。
 私の懐に入っての薙ぎ払いを、兼光は他に選択の術なく刀で防いだ。だが刃同士がぶつかった瞬間、すぐに刃を返し、また別の方角から攻撃を繰り出す。
「くっ……業とはよく言ったものだな。確かに拙者のような不貞には重い」
 ギン、ギン、と、刃が触れ合う度に鈍い金属音が響く。兼光はその技巧で私の攻撃を防いではいるが、どうやら刀の方はそうもいかないらしい。一合の度に刃が激しく削げ、ぱらぱらと散っていく。
「脆い。ならば、一思いに叩き折る」
 相手の不意を突き、連撃の中に一際重い攻撃を混ぜ、刀を弾く。その間にさらに強い力を込め、私は兼光を袈裟懸けに斬りつけた。
 反応した兼光は、やはり攻撃を刀で防ぐ。それは間に合ったが、しかしその刀身は既に限界で、何とか弾いたものの根元から折れていった。
「…………折れてしまったか。30年来の相棒であったが、やはり情が足りなかったようだ」
「さあ、これで得物はなくなった。大人しく斬られるか、無様に逃げ回って殺されるか、二つに一つだ」
 私は勝利を確信し、剣の切っ先を兼光に向ける。
 だが、当の本人は武器がなくなったことを大した損失には思っていない様子だった。
 何だあの余裕の表情は。まだ隠している何かがあるというのか……?
「まあいい、所詮は使い捨てだ。今時、刀に魂も何もないだろう。
 さて、では本番と行こうか」
 そうして、男は何の前触れもなく、掌から刀を取り出す。それはあまりに自然すぎる動作だったので、思わず見流してしまった。
「なっ…………」
「別に驚くこともないだろう、お主と同じだ。ただこちらは歴が違うぞ。老を重ねるというのもあながち呆けるだけではない」
 ニヤリと兼光は笑って、先程の私のように跳んだ。
 咄嗟に私は迎え、初撃に刃を合わせる。男の刀は折れた方とは比べ物にならない程美しい刀身をしており、見るだけで人が斬れるような威圧感を放っている。神力で精製・模造したとはいえよほどの名刀だろう。
 備前兼光…………やはり只者では――――
「いや、違う、そうだ。備前兼光、それはその刀の名前だ」
 彼の名を思い浮かべ、すると同時に解が生まれた。私は剣を払い、間合いを離しながらそれを口にしていた。
「気づいたか。ご明察、兼光はこの刀の事だ。織田信長や豊臣秀吉、その他多くの時の武将達に愛された名刀。
 それだけの業の上に成り立ったモノだ、神力の宿り方は並ではないぞ」
 男は愉快そうに弁を並べる。確かに、男の言う通りにあれが備前兼光ならば、神具に並ばずとも相当の脅威になる。まして使い手が使い手だ、半端な強さにはならない。
「…………それでも私は退く訳にはいかない」
 しかし私は動じない。
 みる様をお守りする。その決意あらば、畏れるものなど何があろう。
「では日向楓。改めて勝負といこう。その前に忠告があるが。
 拙者の剣は正道ではないが、それ故読めぬ。心してかかれよ」
「剣の道に正も邪もない。所詮名乗った者の違いに過ぎん。問題は、倒すか、倒されるかだ」
「ほ…………語るな。時代が時代で主が男なら、真の侍となっていただろう…………な!」
 言葉の最後と同時に、男は剣を振った。同時に先とは比べ物にならない程の剣風が私の髪を揺らす。それが逆に目印となったか、私は真正面からその見えない刃を受けることに成功した。だが両断されることは防げても、その勢いは殺せない。大地に踏ん張りきれず宙へ投げ出されると、そこに燕のような低空低姿勢で、男が滑り込んできた。いとも簡単に着地点に先回りされ、私の背中を斬り上げる。しかしそう簡単にやられる程、経験不足のつもりはない。慣性はどうしようもないと判断すると、すぐに私は地面に思い切り剣を突き立てて、強引に勢いを止めた。そのまま着地すると、ギリギリのところで空振りした男の両足を狙って外側から払う。しかしやはり反応がいい。男は自分の攻撃が外れたと見るやすぐにその場で跳躍し、読んでいたように私の足払いを躱した。だが宙にいるというのは、それだけで絶対的に不利だ。人は空では自由に動けない。
「ハアッ!」
 それでも一息で仕留められるとは思っていない。必殺の一刀ではなく、無数の連撃を繰り出す。だというのには男は、その一つ一つに対応していった。まるでこちらの動きなど全部お見通しとでもいうような超反応で、私の剣を捌く。既に音速の域は超えたか、両者の腕は自分にすら目視できない。ただ幾重の銀光と、永続する金属音と、迸る火花が傍観者の認識できる全てだろう。
 男は私の剣を受けきって着地すると、その場で剣ではなく蹴りを放った。柔道のように小足で踏ん張っていた方の脚を払われ、バランスを崩す。それでも剣だけは防がんと構えるが、その間を縫うようにして、もう片方の足が砲弾のように顎を捉えた。
「がっ……!」
 しまった、今の当たり方はまずい。脳がズレた。世界が暗転し、脚はガタガタと崩れる。だが倒れるな、倒れれば斬られる。しっかり敵を見据え、その刀に備え――――
 ごっ
 一際鈍い音がした。
 痛みはない。だから、自分が何をされたか理解するのに、少し時間を要した。気づいたのは、苦しかったから。
「ぐっ……がはっ! げほっ! ごほっ! が……ああっ!」
 胃がびくびくと痙攣し、全身がぐちゃぐちゃにかき混ぜられているのがわかる。あの時胸に受けたのは、刀ではなく打撃。ただ一撃の掌底。にも関わらずそれは私の身体の自由を一瞬で奪った。完全に抵抗する機を、消す為か。 
 それにしてもただの打撃ではこうまでいかない。発勁の為の集氣を、神力で代用したか。成る程邪道とはよくいった、技の引き出しが多すぎてもはや一概に剣士とは呼べない。
 私は引っくり返る胃の中の物を血混じりに吐き出しながら、ゆっくりと歩み寄ってくる男を睨みつける。
「体は動かずとも目は死なず、戦意も萎えぬか。全く恐れ入る。
 一体何がお主をそうまで奮たせる?」
「……あ……ぐ」
「答えられぬか。そうであろうな、そう易々と語れるような部分を残しては、動きを封じた意味がない」
 私は口を開けば戻しそうな状態にありながら答えようとするが、喉が上手く動かない。そして男は、それを笑うように冷たい眼で見つめてくる。
 それは自分だけを笑ったのではない気がして、無性に腹が立った。
「さて、では終わろうぞ。日神子はどうやら逃がしたようだが、守の一人を仕留めたのならば、そう悔いる戦果ではあるまい」
 言って、男は何の感慨もなさそうに、自然な動作で手にした刀、備前兼光を振り上げる。腹部を抑えて蹲る私は、剣こそ握ったままだがそれを振るうことも出来ず、顔を上げて睨みつけることしかできなかった。
 このままではただ殺されるのみ。それは、自分にとっても酷く許されざる結果だ。
 私は、主君、みる様の為に死ぬのなら構わない。だがこんなところで、何もみる様のお役に立てず死ぬのは、恥辱や屈辱、そういった以前の問題だ。守となった以上、みる様を最後までお守りしなければならない。
 にも関わらず私は今、このような路傍に伏し、その生を主君に捧げることなく無為に終えようとしている。少なくともそれは私にとっての罪であり、みる様への侮辱である。
 私が剣を取ったのは、今ここで死ぬ為ではない。黄泉の裔から、守りたいものを守る為だ。
 そして、あの夕陽の中で見た笑顔を、いつまでも守り続ける為。出来るなら彼女に悲しい夢の一つ見させはしない。その為に、私は生きてきた。
 ならばどうする、日向楓。ここで倒れていて、何か得られるというのか。体が動かないなど、理由になるというのか。
 そうだ、下らない言い訳など必要はない。私がやるべき事、それは今を生き、敵を倒し、そして業を守ること。
 無駄な物は全部吐き出し、心を空にし、神経を尖らせ、精神を研ぎ澄ませていけ。私が使うは神の刀、黎明の心にて臨めば、躯などいくらでもついてくる。 
 握れ、振るえ、絶て。敵は目の前だ。
「――――さらば」
 そして、虚空の蒼銀は、陽炎の残像と、光輝する軌跡を残し、地に屈する私へと振るわれた。
 それは間もなく私の眼前へと肉薄し、動かない体は抵抗を見せず両断される。紅い鮮血は滝を引っくり返したような勢いで噴き出し、断面からはどろどろとピンク色の臓物が這い出る。――――しかしそれは、男の予想に過ぎない。
「我ら日神子の守を…………舐めるなあ!!」
 通わない血液と水分、電気信号。それら一切を魂から引きずり出した神力で代用し、破損した血管、すり切れた神経に普く通わせる。そうして擬似的に肉体のポテンシャルを再構築した私は、持ちうる技術をかなぐり捨て、渾身の力をこめて剣を振るい上げる。その際踏み込んだ片足はコンクリートを踏み抜き、震脚に値う打ち込みで、打ち下ろされた刀を弾き返した。
「むっ!?」
 鈴の音にも近い澄んだ音が響きあう。交じり合った銀光は互いを拒絶し、わずかに驚いた様子を見せた男は、そのまま飛び退り距離を置いた。
「驚かされる、なお動くか。若い身空でありながら大したものよ」
「…………当然だ。お前達のような外道に屈する程、うらぶれてはいない」
 吐き捨て、ゆっくりとその場で立ち上がる。体は世辞にも満足と言える状態ではない。しかしそれでも、目の前に敵がいる以上は立って迎え討つのみ。
「外道か…………果たしていつから堕ちたのか。肉体は老いずとも、心と共に記憶すら劣化していくな。
 拙者は何であったか…………否、今この場で答えを求めても詮無き事か」
 男は、ただでさえ薄汚れた身なりに、さらに影を落とす。その表情は、何故か諦観に似た感情を想起させた。
 不覚にも戦意が殺げる。が、かといって敵を逃す訳にはいかない。どんな事情があるにせよ、あれだけの使い手、ここで残しては後々我々にとって害となる。敵である以上は、全力で仕留めるのが上策。今まで私は侮っていた。
 感傷が、判断を鈍らせていたか。今日の私はどこかおかしい。だがもう迷いはすまい、躊躇はすまい。真の意味で、私は全力でこの男を打倒する。
「天切る地切る悪しき祓え」
 なればそれを行使しよう。紡がれるは浄化、或いは破滅。語られし呪は返ることのない一方通行の絶対信念となり、具現化した神力は刃の魂に同調し、その身に流動する。
 その輝きは白夜の如く、暗きを忘れ闇を焼く。瞬く間に構えられた剣は極彩となり、暴走まがいの力はその余波によって結界による幻視――ビルや街頭を断絶する。
「祓い給へ清め給へ」
 風が舞う。臥竜天へ昇るが如く、大気は渦を巻いて私を取り囲んでいく。その只中にあり心は尖鋭、凍えながらにして沸騰する。高揚と冷静、相克する暴流はやがて魂の名のもとに混ざり合い、ただ一つの意志で以って力と成す。
 通う神力は今を以って戒めを解かれる。結末は見えた。
「この力、さながら嵐か。しかしどうか、兼光は戦乱すら超えるぞ」
 言って、男は以前のように、ゆらりとした動作で刀を振り上げる。見えない斬撃だ。錆びついた刀であの威力、果たしてどのような脅威が迸るというのか。 
 ――――否、それこそ恐るるに足りない。真の神刀と成ったこの剣はそんなものではない筈だ。
「斬」
 そうして、兼光は放たれた。しかし今度のは、見える。その質量に闘気は物質化し、禍々しい怨呼を叫ぶ赤い刃は地面を引き剥がしながら私へと迫る。  
「叱っ!!」
 これ程ならば避けたところで無意味、肉片となって終わりだ。なら正面から迎えるを良しとする。
 私は裂帛の気合を咆哮に乗せ、赤刃を真正面から叩き斬る。その瞬間、雷を落としたような轟音が爆ぜ、剣の極光が世界を呑んだ。
 瞼が焼ける。ただしそれは、闇の者であればこそ。私の視界は確かに、自分の無事と、相手の動揺を捉えていた。
「…………何故だ。この兼光が、拙者の至らぬ部分を差し引いてもたかが一人の人間に遅れを取るなど、有り得ぬ」
 刃を不思議そうに見つめ、二、三、宙で無造作に素振りをする。それは、技を防がれたというよりは、刀が用を成さなかったという事実を悔いているように思えた。
「よほどその兼光を信頼しているようだな。だが、武具という点に於いて暦が違うのは、果たしてどちらかな」
「――――なに?」
 私は、刀身が今もなお輝く剣を天に向けて掲げる。
「この剣は影打ちだ。それもさらに神力で精製した模造品に過ぎない。なのに何故ここまでの力を発揮するか、教えよう。
 説明はこれで十分、真打ちの名は…………大通連だ」
「なに? まさか、八握か…………!?」
 黄泉の裔だけあってやはり知っていたか、男は目に見えて狼狽する。それは退廃的だった男が見せた初めての生の感情か。
「その通り。影打ちでも大通連とは多少質が落ちたというだけのことだ、この粗速丸、伊達に日本神代の剣ではない」
「そうか…………不足であったのはこちらだったか。しかしこの兼光とて、重ねたのは歳月だけではない。互い本来の力量を以ってすれば、勝てぬ戦ではないわ」
 だがその心は折れない。この男、巫山戯てはいるが、決して朽ちている訳ではないからだ。ただ茫洋とした存在は脆弱でありながら、それでいて討つことが敵わない。これが生きたということか、芯はどのような形であれ確固たる地を築いている。
「では最後の立ち合いといこう。死んで悔いはないな、女」
「有る。だから死なない」
「は…………その為の戦いか。その志、拙者が引導を渡そうぞ!」
 離れた距離は7m。それを両者は、今までに無い速度で詰め、まるで最初の再現のように打ち合う。だが、もはや以前のような膠着はない。
 一合、それだけで大気は爆散し、アスファルトを引き剥がし地面を剥き出しにしていく。剣が重なってはまた打ち合い、方向を変えては受けられ、また打ち返す。いつの間に浮かんだ月が照らす影は、静寂の中の台風。触れる者あれば容赦なく斬り刻む。
 埒が明かない。その中で走る思考はそう判断し、一度間合いを離す為に後ろへ跳ぶ。そしてそのまま空中にいる間、追撃を落とすように粗速丸を振るい、神力の塊である白光を撃ちだした。
「どうした剣士、それでは蚊も落とせぬわ!」
 だが流石にこの男も並の使い手ではない。赤刃で相殺し、勢い衰えることなく私に接近する。
 さながら弾丸かという速度で迫った男は、そのまま右大腿部から左肩口にかけてを切断しようと斬りつける。攻撃は見える。が、その方向からの斬撃は躱すのが難しい。剣で受けるには腕力が入らない打点から責めてくる。
 なら剣で受けようとは思わない。後ろではなく、前に体を押し出し、剣を逆手に縦で構え線で刀身を受けながら、空いている左手でショートアッパーを打ち出す。その打撃は顎を捉え、倒せないにしろ怯ませることができる、そう考えたが、実戦はそう予想通りにはいかない。男は飛んでくる私の拳を片手で受け止めると、そのまま手首を捻り小足で軸足を払ってそのまま投げ飛ばす。これは合気道か。
「くっ!」
 などと冷静に分析している場合はない。このまま倒されては終わる。私は手首が外れるのを覚悟でさらに腕を回転させ、強引に手を振り払う。
 混乱する三半規管を無理やりねじ伏せ姿勢を戻し、地面に着地すると、間髪入れず男の首めがけて剣を飛ばす。立ち上がりながらの突き出すような一撃はそれでも防がれる。
 やはりこの男は、武器がどうこう言う以前に、強い。簡単に言い表すのならそれが適切だ。刀を操る技巧に咄嗟の判断力に反応速度、そして精神力。どれ一つとっても私が安心できる要素はない。 
 振るわれる刀は鋭敏にして豪胆。日本刀の切れ味のギロチンを相手にしているかのようだ。こちらが少しでも神力の供給を絶てば、いくら粗速丸といえど紙と大差がない。そんな相手に打ち合いを続けるのは得策ではないのは火を見るより明らかだが、先ほどのように突破口を見出そうとしたところで、すぐにこの状況に叩き戻される。
 既に何十合を打ち合っただろうか。指先に感覚はなく、腕の筋肉は破裂せんばかりに緊張している。汗は滝のように噴き出し、時折目をつぶす。これは凄絶というにも陳腐な、激しい闘争だった。
 だが、それであっても私は負ける訳にはいかない。例え相手がどんな化け物であろうとも、守るものがある以上は退けない。だからこそ腕は動くし、刃は鈍らない。ただ辛くあれば、あのみる様の顔が寂しそうに曇る姿を想像し、再び奮起する。
「日向楓、貴様そこまでして闘う理由は何とする。主君への忠誠と聞いたが、本当にそれだけか」
 男は問う。
 闘える理由は人それぞれだ。だが、必ず誰にとってもこれだけは言える。
「人は、守るものがあればいくらでも闘える。つまらない矜持一つでも、しがみつけば倒れない!」
 私は躊躇わず、その答えを口にする。そして、言葉を力とするように、思い切り剣を男へと打ちつけた。
 当然、というのも妙な話だが、剣戟は男に受け止められる。となるとすぐに反撃が来る――――筈なのだが、何故かそれは来なかった。私は驚いて、思わず剣を止める。 
「――――ふむ、時間のようだ」
 男が何事もなかったかのように一言呟くと、その片腕はボロリと腐り落ち、そのまま灰になった。
「…………え」
「そう驚くな、拙者とて所詮元は凡俗の人の身よ。呪の恩恵を預かっただけの出来損ない、お主程の闘士と会っては長くは保たん」
 淡々と語る男は、己の身が朽ちていくのを見ているにも関わらず、わずかも動揺した様子は見せない。
 この男……そうと知っていて戦っていたのか。命が惜しくないというのか。
「なに、それでも使命は果たすさ。否、そうではないな、拙者は蚊程も恩義を感じてはおらん。そんなモノはとうに捨てた。
 何故かは知らぬが、拙者はぬしを見ていると腹が立って腹が立って仕方がないのだ。私怨に過ぎぬが、死に花としては悪くない」
 そうして向けられた男の眼差しに、私は初めて正真正銘の殺意を感じた。今まで斬り合っていたにも関わらず、そのプレッシャーは比べるべくもない。あれこそが、人を本気で殺す人間の眼とでもいうのか。
「これにて拙者は終わりと致す。お主が生き残るかどうかは、結果を見て知るがいい」
 その言葉と同時に、男の無くなった腕の方の袖が一気に燃え上がった。否、腕があった場所から炎が噴き出している。これも何かの術だろうか。だが、その次元は桁が外れている。式を操る程の神力量を持った和也と比較をしても――そうではない、比較できるようなモノではない、もっと邪悪な力だ。
「此れはお主の剣のようにレプリカだが、神代の具物。火加具土、イザナミの腹を焼いた炎だ」
 説明しながら、溢れる炎を兼光の刀身に移していく。しかしその間にも男の体は火に包まれ、炎焼を続けている。
「さて、見ての通り、攻撃などできて一回だ。それきり燃え尽きて拙者は灰燼と化す。一撃で仕留める故、覚悟しろ」
 自身が焼けついているというのに、男の声はいたって冷静だ。その言葉には苦悶の一つなく、痛みすら不感、そして死を享受していた。ただ、眼だけは変わらない。明確な畏ろしいまでの殺意を放ち続ける。私は、目の前に浮かぶ炎が、彼の憎しみの炎に見えた。
「お前が抱いているモノは、私にはわからない。だがお前が黄泉の裔で私の敵というのなら、みる様の為、そして自分の為、如何なる炎であろうと斬ってみせる」
「よいぞ。拙者の悪あがき、付き合っていただき感謝いたす」
 男は炎に全身を焼かれながら、刀を振り上げる。それが恐らく最後の一刀になるだろう。
 炎を巻き込んだ兼光は、まるで悲鳴を上げるかのように金切り音を響かせる。暴走する神力が、刀の周囲で爆ぜ回っているのだ。
 あれを絶つには、こちらも出し惜しみできない。残った全神力を、私も粗速丸に注ぎ込む。もしその攻撃を放った次の瞬間に別の敵が襲い掛かれば、私は成す術なく殺されるだろう。だがそれは、この攻撃を生き延びたという前提があってこそ。
 今はもう面倒な事は一切考えない。眼前の敵を――――倒す。
「天切る地切る悪しき祓え、祓い給へ清め給へ翔り給へ光り給へ――――」
「斬焔!!」
「――――破神!!」
 同時に、二人は剣を振り下ろした。
 男の刃からは灼熱の気合がそのまま刃となり、爆音と共にその場の酸素を燃焼させ、気流を生み出しながら竜巻のように接近する。片や私の光刃は、点を穿つようなレーザーじみた軌道で炎刃とぶつかり合う。総質量ではやはり敵の方が上か。だがそれでも一点集中させた私の神力も伊達ではない。二つの力は相克し、空間を捻じ曲げんばかりの衝撃を撒き散らしながら、立ち合いの中心で拮抗する。
 それはまるで、全身の水分を垂れ流しにしているような感覚だった。凄まじい勢いで体内に蓄えられた神力が枯渇していく。これほどまでの消費量とは、流石に予想してはいなかった。だがそれは相手とて同じ筈、許容できないエネルギーは炎となってその身を焼き、耐えられなかった人の器は今もなお崩壊を続けている。
 命がけの持久戦。先に力の尽きた方が死ぬ。これは必死の根競べだ。
 だが、実際自分がどの程度持つかは知れても、相手がどのくらい持ち応えるのかはわからない。これでは博打と何ら変わらない。私には、確実に相手を仕留める必要がある。
 今現在力は均衡を保っている。ならば、後一押しすれば、形成は一気にこちらに傾くはず。 
 後一歩、後一歩前に進むことが出きれば…………。
「ああ、そうか、思い出した」
 私が決定打となる方法を必死に考えていると、不意に、すっと手応えがなくなる。
「え?」
 次の瞬間、私の刃は炎を貫き、男の胴を真二つに貫いていた。
 



 

「…………何故、力を抜いた」
 私は、地に倒れ、上半身だけになった男を見下ろしながら、ぽつりと尋ねる。すると、もう殆ど灰になりかけている男は自嘲するような笑みを私に返した。
「思い出したのだ。私が何故、お主を見て腹を立てたのかをな」
 思い出した? たかがそれだけの事で、あの死合いの決着がついたというのか? それはあまりにお粗末な結果ではないだろうか。
「そうだ、お主のその瞳。言葉の端々に出てくる守るという決意。そして、主君の為、そこまで忠義を尽くす姿。
 どれをとっても昔の私を想起させる。老いとはかくも恐ろしいものだな、そんなことにも気づけなかったとは」
「――――昔の、お前?」
「拙者が仕えた主は立派な御方だった。だがな、時代の趨勢というのは良人を悉く淘汰する。無実の罪で打ち首に処される主の姿を、拙者は黙って見届けるしかなかった。
 つまり拙者は守れなかったのだ、お前が守ろうとしている存在をな。だからこそ知らぬ間に羨んで、妬んでいたようだ。まったく、勝手な話よの。
 そして流れ流れて、復讐を欲さんとすれば闇に付け込まれ、気がつけば人外の身よ。尤も、復讐などを考える理性が生まれた頃には、既に心は腐っていたが」
 一言一言が、自分を嘲る自虐の弁。にも関わらず、その表情はどこか満足気だ。
 それからごふりと血を吐き散らしたが、それでも男は語り続ける。
「のう、剣士よ。お主は守れるか、守りたいものを」
 私は、その問いが、男にとって酷く重要な事であるのを、その様子から悟っていた。だから、しっかりと、一語一句はっきりと伝わるように私は何度も口にした答えを紡ぐ。
「守れるかどうかなど、問題ではない。守る、それこそが私の道だ」
 私の言葉。それを聞いて、男は満足そうに頷いた。
「拙者にもそのように即答できる勇気があれば、或いは変わったのかも知れんな。今となっては後悔すら出来ぬが」
 そして、男は一度目を閉じる。
「ああ、見えるぞ。ここが黄泉比良坂か。しかしどうか、天女がいるとは妖美な」
 閉じた筈の瞳を見開くと、男は私を見据えている。しかしそこには生気の欠片もなく、瞳孔も開いている。恐らくは、総てが幻視。
「その剣で俺を斬ったか、天女よ。何もかもがデタラメだが、それなら本望というものよ。黄泉路への案内、確かに任せたぞ。
 早々、どうせならば殿より頂いたこの備前兼光、一緒に連れて行ってやってはくれまいか。何分、俺の魂なのでな」
 言いながら、男は私に向けて備前兼光を差し出す。無言のままそれを受け取ると、間もなくその腕も崩れ去った。
 もはや、この男に語る事もない。その生きた過去に免じて、最期はこの手で看取ってやろう。
「では――――御免」
 兼光は、私の手によって、その主の胸に深々と突き刺さる。そこには断末魔も怨念もなく、ただ晴れやかな死に顔が風化していくだけだった。
 そうして残された備前兼光だったが、やがて主人の後を追うように、根元から亀裂が侵食し、折れていった。それは、酷くやるせない光景だった。
「私は――――」
 私は、お前のようにはならない。絶対に、守り通してみせる。口に出そうとしたが、私はそれを敢えて胸に秘めた。
 鼓舞する必要はない。この誓いは、私だけが刻んでいればいい。 
「…………ん?」
 と、不意に抜け殻となった着物の中から、何が棒のようなものが転がり落ちてきたのに気がついた。
(これは、指…………か?)
 そう、多分指に間違いない。しかしどういうことだろうか、あれだけの炎の中にあって、傷一つついていない、まるで手から切り離されたばかりのような姿であるというのは。
 詳しく検めたところ、恐らくは女の小指だということがわかる。一体何の意味が――――
「ああ、なんだ」
 そして理解した。この男はまだ全てを思い出してはいなかったようだ。
 彼が本当に守りたかったのは、主君じゃない…………きっと、彼にとってこの世の誰より美しい、そう、例えば天女といっても差し支えなかった女性だったのだ。
 それから暫くして、その小指もやがて灰となって消えた。だがそれでも、そこに残された想いは私の心に焼きつき、いつまでも心地よい温かさを帯びているかのようだった。



 終
   
 
 
 
 あとがき

 どうも、お久しぶりのちまたです。
 あー終わったべや。サムライこえー。フジヤマゲイシャー。
 途中自分で何を書いているのかわからなくなりました。
 ああ、そういえばコレSinのSSなのね、みたいな(爆  
 疲れたので正直あとがきを書く気力すら残っていません。ちなみに苦情も受けつけません。感想・批評はお待ちしておりますが(現金
 とりあえずコンセプトは、武士沢レシーブ!
 あ、いや、武士道ブレードだったかな。
 とにかく脳が混乱してますので、今日はこの辺で。
 早々、昔の花魁は愛情を示すのに自分の小指を切って渡したそうですよ。イタター。
 んだば、また来世。