「ねぇ、和也くん?」
放課後の教室。そこには私と、和也くんの二人しかいない。
まだ終わっていない歴史の宿題。それを終わらせる為にこうやって残っているのだ。
一応、楓さんを待つという意味合いもあるんだけど。
楓さん、何処行っちゃったんだろう?樹生くんも一言二言言葉を交わしただけで、どこかへ行ってしまった。
きっと、もう家に帰ったんだと思う。
――――そう思うと、少し寂しく感じた。
他のクラスメイト達は、帰った人もいれば、部活に行った人たちもいる。
当然、みんなで連れ立って遊びに行った人たちもいるはず。
ちょっとそんな普通の生活に憧れてしまう。けど、弱さは見せられない。
それが、私の使命だから。これでも一応、理解しているつもり。
「ねえ、和也くん!!」
耳元で呼んだのに反応しなかったから、少し語気を荒げて呼んでみる。
……それでも反応がない。
和也くんは今、本を読んでいた。かなり熱中しているみたいだ。
赤黒い表紙。ぱっと見ただけなら、呪術書か何かじゃないのかと疑ってしまうほどの。
これ以上呼んでも無駄かな、と思った私は出来上がった課題を提出するために職員室に向かうことにした。
それによくよく考えてみれば、たかがそれだけのこと。わざわざ付いて行ってもらうのもどうかと思う。
そう考えた私は、本に熱中している和也くんの元をそっと離れた。
机の間を縫ってそのまま教室を出る。右脇に、出来たばかりの課題を抱えたまま。
廊下の窓から見えるグラウンド。そこではサッカー部や野球部が熱心に部活動に励んでいた。
野球部の部員が打ち上げたボールが、太陽の光を受けて眩しく輝いている。
その光景を一瞥だけすると、私は職員室に向けて歩き出した。







――――――――ガタン。








「SIN」勝手にChapter 3,5
宴 非 人 者 達  
written by daiki




後編





「ヤツらの狙いは――――まさか……」
四つの仮説。そして、それを事実としてくつがえすための事実。
それが今、ここにある。事実は、オレの目の前に立っているこの少女が握っている。
「どうしたの、樹生くん?」
オレのことを怪訝そうに見つめるみる。その表情からは、明らかに疑問が感じ取れる。
「みる。和也は本当に教室にいたんだよな?」
「う、うん」
オレのその言葉に首を縦に振って肯定する。そう、彼は教室にいたのだ。
なら、一つの疑問が浮かぶ。何故オレたちは図書室で和也に会ったんだ?という疑問。
だがその疑問は、ある仮定を当てはめるだけで解決する。
「なぁ、日向?もう気付いてると思うけど」
それだけ呟き、横目で学生服を羽織った日向の方を見る。
「ああ。あれは……和也ではなかった」
みると共にいた和也が偽者だったという可能性もあるが、それは違うと思う。
彼はずっとみるといたはずなのだから、入れ替わる時間はなかったはずだ。
それに、みると二人きりになるというチャンスをやすやす黄泉の裔たちが逃すとは考えにくいからだ。
そして、確実に違うと分かる発言を偽者は残してくれた。
『何をしてるって……勉強ですやん』
ただこれだけのセリフで、彼が偽者だと分かる。
普段なら情けないだけの彼の性格も、こうゆうときに役に立つとは思わなかった。
「まぁ、『なら誰なんだよ?』ということは置いといて……みる。二つ目の質問だ」
「え、何?」
「蛾龍と剣仁。――――あの二人、何か言ってたか?みるを捕まえて」
「う、うん。え〜っと、確か……『あとはコイツをエサにアイツらをここに連れてくるだけだ』だったかな?」
「やはり……そうゆうことか」
日向が呟く。おそらく彼女もオレと同じことを考えているのだろう。
みるだけが何も分かっていなさそうな表情をしていた。
「そうゆうことだな。つまり黄泉の裔たちの目的はみるじゃない、ってことだ」
オレとみるが初めて会ったとき、黄泉の裔たちは確実にみるのことを狙っていた。
そしてこれまで日向が倒してきた裔たちも、きっとみるが狙いだったはずだ。
だが、そこが死角だった。
今回――オレの場合はこの前みたいに、そして日向の場合は今回も――黄泉の裔たちはみるを狙っている、と間違った認識をさせられてしまったのだ。言わば、真の目的から目をそらす為のミスリード。
ならば、彼らの真の目的とは何か?
「誰もいない世界……というのは私たちを焦らせ、確実にここへ誘導するためか」
これで全て合点がいく。
偽者の和也を用意してまでオレたちをここ――――屋上まで誘導した理由。
蛾龍と剣仁の存在。それは時間稼ぎだと考えれば辻褄が合う。――――危うくやられてしまうところだったが。
そして、黄泉の裔の目的はみるではなかった。
黄泉の裔たちが狙う理由があるであろう人物。そして、黄泉の裔に直接関係のある人物。
――――それはつまり、和也に他ならない。
夕陽はまだ屋上を照らしている。ただ、朱色はどんどん紅へと近づいていく。夜の帳が、落ちようとしていた。
屋上に何度目かの風が吹いた。やはりその風は、枯れ葉を運んでいく。
「和也……?」
風が止み、日向が呟く。その視線は屋上の入口のほうへ向いている。
「そう、奴等の狙いは和也だったんだよ。だから早く……」
教室へ行こう。そう言おうと思った。――――屋上の扉の前にいる人物を、見るまでは。
日向の呟きの意味は、オレが言おうと思っていたことではなかった。ただ、呼んだだけなのだ。
そこに立っていたのは和也だった。学生服の中に赤のシャツ、ボタンを全て開いた軽い格好。
ただ、うつむいたままで何も話そうとはしない。外見は和也なのに、どこか和也ではない印象が見受けられる。
その様子は、どこか奇怪だった。
「違う」
日向が呟き、剣を構える。いつでも敵を斬れる体勢だ。
「ちょ、ちょっと楓さん!?」
みるが信じられない、といった表情で日向を見つめる。彼女はまだよく状況を理解できていないらしい。
不意に、和也らしき影が微笑む。どこか闇を帯びた、彼らしくない笑み。
「何を言うんですか、楓さん。ワイですよ、か・ず・や。まさか、忘れてしまったんとちゃうやろうな?」
「化けるのなら、もっと上手く化けろ」
剣を構えたまま、厳しい口調で日向が言う。その刀身が、銀色に輝いていた。
「……なんだ、もうバレちゃったんだ」
突如、和也の偽者の口調が変わる。まるでいたずらがバレてしまったかのような、無邪気な子供のような口調。
和也の容姿にその口調の不釣合いさが、あまりにも滑稽だった。
「蛾龍と剣仁もやられっちゃってるし……ま、アイツらは捨て駒だからいいんだけどね」
表情一つ変えずに影は言う。オレたちを順に見回し、肩をすくめる。
「まぁでも、その学生服着た姉ちゃん見る限りじゃ……無事じゃすまなかったみたいだけど」
「うるさい」
同じく表情一つに日向が言う。だが、それは自然の姿に程近いように感じた。
彼女は、恐ろしいほどに――――冷静だった。
「わわっ、そんなに怒らないでよ」
そんな日向に恐れをなしたのか、慌てて両手を振る。
一歩だけ後ずさると、和也の格好をした影は唇の端だけを吊り上げ微笑んだ。
「それよりも、お仲間のことが心配じゃないの?」
「――ッ!」
核心をつかれたのか、日向の表情に一瞬だけ動揺が走る。
――――影には、その一瞬で事足りたようだ。
地面を蹴り、人間では考えられないスピードで走り出す。そのスポードのまま真っ直ぐ日向のほうへ向かっていく。
「破ッ!!」
だが、そんな単調な攻撃が通用するとは思えない。
日向の刃は、その和也の偽者を切り伏せ――――ていなかった。
「なっ!?」
今度は彼女の表情にも明らかな動揺の色が浮かぶ。かわされた、そのことが信じられないといった表情。
――――――消えたのだ。
元から、何もなかったかのように。
日向が戦っていた剣仁のように高速で動いているのか。否、そうではない。
存在そのものが消滅していた。目標をなくした刀は空しく地面に弾かれる。
「無駄だよ。とにかく教室に行ってみなよ……まぁ、行ったらきっと全てが分かるから」
どこからかそんな声が聞こえた。姿はない。それは脳に直接話し掛けてくるかのようだった。
日向もそれが分かったのか、刀を納める。その視線はどこか遠くを見ていた。
「……とりあえず、教室に行こう」
オレのその言葉に二人が頷く。ただ、その表情は対照的ではあったが。
相変わらず無表情な日向に対し、みるは心底心配そうな表情を浮かべていた。
「大丈夫だ。アイツなら自分自身でなんとかするだろ」
そんなみるを励ますかのようにオレは言った。みるが強く頷く。
「うん」
だが、オレは分かっていた。それはあくまで理想でしかないないということを。
もしかしたら、すでに彼の身には何か起こっているかもしれない。
それでも、アイツのことを信じたい。
「急ごう、和也が危ない」
そして、オレたちは走り出した。



放課後の教室。――――誰もいない、教室。
窓からは夕陽の光が差し込んでいる。それはどこか幻想的で儚い。
机の天板に反射した紅い光は、眩しいくらいにオレたちの顔を照らしている。
教室に争った形跡はない。
ただ、窓際から数えて後ろから二番目の座席。この部屋で最も夕陽の光を浴びているその机の上に、無造作に本が一冊置かれている。その赤黒い表紙、乾いた血の色のように輝くその表紙を、オレは知っていた。
そして、もう一つ。
その座席の椅子だけ不自然な形で倒れていた。それこそ、座っていた人物が無抵抗に倒れたかのように。
「和也くん……」
みるが呟く。ただ、まだ彼に何が起こったのかは分からない。
もしここで敵が現れ戦ったのなら、ある程度争った形跡が残っているはずなのだから。
だが、この席以外の周辺の座席は不自然なほど動いていなかった。
今日の掃除当番は丁寧だったのか、一列に並べられた机はまったく歪んでいない。
その様子はあまりにも不可解だった。この和也の席だけが、教室という空間から切り離されたかのようだ。
「……手がかりと言える物は何もないようだが」
「そうだな……いや、この本」
陰陽師、と不気味な字体で書かれたその本を手に取る。
変に扱えば今にも千切れてしまいそうだ。何か手がかりはないか、と一ページずつめくっていく。
あの男は確かにこう言った。『教室に行けば、全てが分かる』と。
だが、それでも何も分かってはいない。残った手がかりになりそうな物はと言えば、この本だけだ。
本の内容は昨日見たものと同じだった。見たこともない図柄、漢字だけで並ばれた呪文のようなものもある。
分かることと言えば、この本の内容は到底オレには理解できる物ではない、ということだ。
和也にはこれが読めるのだろうか?彼の家系は陰陽師だ、きっと分かるのだろう。
丁度真ん中あたりまでページを読み進めたとき、本の内容と釣り合わない不自然なものを見つけた。
それは、これまで読み流してきた内容とはほぼ遠く感じられる。
「これは……五芒星か?」
五芒星と呼ばれるものが、黒いマジックのようなもので殴り書きされていた。
「それに、これは……落ち葉?」
この本で押し花でも作っているのだろうか、なんてことを思ったが……そうじゃない。
すでに枯れてしまった葉。木に付くことに疲れ、風に流されてしまった孤独な一枚。
それが、不自然な形でこの本に挟まれている。それもご丁寧に、
「テープで止められている……」
このページを開いても、その葉が落ちなかったのはそのテープの所為らしい。
そのページを開いたまま、しげしげと眺めるオレの姿をみると日向の二人が覗き込んでいた。
「何?これ……」
みると日向が顔を見合わせる。この不可解なページに疑問を隠せないのか、みるが尋ねた。
「分かりません。ただ、」
「うわっ!?」
その問いに日向が答えようとしていたが、オレの叫びに掻き消される。
「どうした、樹生!?」
「樹生くん!?」
二人の叫びが木霊する。だが、オレは目の前で起こった光景に空いた口が塞がらなかった。
光っている。
夕陽に映えているのではない。それは紅い光ではなく、禍禍しい黒い光。
否、光ではない。それは――――闇だ。
枯れ葉の貼っている位置を中心に、ブラックホールのような穴があいている。
「なんだよ、これ……?」
まるで海が波打つかのように、その表面は揺れていた。
液体のようだがそうではない。何かゼリー状のような、そんな感じがする。
「おそらく、呪術の一種だろう」
その気持ち悪い物体を見つめて、日向が言う。こんなものがどんな呪術だと言うのだろうか?
「私はそんなに詳しくはないのだが……恐らく」
「でも、なんだろうね、これ……」
この穴について話すオレと日向の傍ら、そう言ってみるが手を伸ばす。この穴が気になったのか、触れようとしているようだ。
「ダメです、みる様!!」
日向がその手を止めようとする。だが、それよりみるが黒い物体に触れるほうが早かった。
――――刹那。
「キャッ!!」
突如触手のように伸びてきた黒い塊が、みるを飲み込んでいく。
「な、何!?くそっ」
「みる様!!」
オレはそれを止めようと本を閉じ、少しでも彼女を遠ざけようとその本を教室の隅のほうへ放り投げる。
そしてみるをそこから引きずり出そうと、彼女のほうへと手を伸ばした。
「みる!!!!」
その黒い塊は、いつの間にか染みのようにみるの体に纏わりついていく。
彼女を引っ張っても、その黒い塊は離れない。それは意志を持った生き物のように、みるを包み込もうとしている。
いつの間にかオレは彼女を引きずり出すのではなく、その塊を引き剥がそうとしていた。
「樹生くん!!!楓さん!!!」
日向もオレと同じように、みるからその黒い塊を引き剥がそうとしている。
だがその抵抗空しく、どんどん彼女が黒く染まっていく。
「きゃぁぁぁあぁああぁぁ!!!!!!」
突如、その黒い塊が縮小を始めた。空気の抜けた風船のように、目に見えて明らかに小さく萎んでいく。
――――まさか、彼女が潰される!?
そんな危機感に襲われる。そしてオレが再び彼女を救いだそうと、手を伸ばした矢先……
「樹生、待て!!」
伸ばした腕が掴まれる。細身の少女からは考えられない、強い力だった。
「なんだよ、日向!!早くしないとみるが……」
「無駄だと言っている――――もう間に合わない。これはおそらく……空間移動の呪術だ」
「空間……移動?」
聞きなれない単語に首を傾げる。こうしている間にも、みるを包んだ黒い塊はどんどん萎んでいく。
「ああ。みる様が何処に飛ばされたかは分からないが」
「そうか、あの本……!!オレ達もあの五芒星に触れればいけるかもしれない!!」
叫びながらさっき投げた本の元へ駆ける。丁度教室の扉の前に落ちたそれを拾うと、さっきと同じページを開く。
だが、そこには――――
「……消えてる!?」
さっきのページには、もう何も描かれていなかった。元から描かれていた絵も消滅し、白紙になっている。
「一度使用したら消える仕組みか……!!」
日向が唇を噛む。近くにあった机を殴りつける。
「私のせいだ……私があそこでみる様を止めていれば!!」
「みる!!」
そして、黒い塊は消滅した。元から何もなかったかのように、そこにはもう何もない。
つまり……日向の言うとおりならば、みるはどこかへ飛ばされてしまったということだ。
「みる様……」
「……どうする?みるがどこに飛ばされたかとか……手がかりはあるのか?」
「分からない……」
日向は軽くショックを受けているようだった。
自分自身を責めている……そんな感じにも見えた。
日向は責任感の強い女性、だと思う。そんな彼女がみすみす守るべき存在を奪われてしまったのだ。
そんなになってしまっても、おかしくはない。
正直オレは動揺していない、と言えば嘘になる。内心かなり焦っていた。
どこに……?みるは――――どこに行ったのだろう?
教室を支配する沈黙。ただ、美しいはずの夕焼けを今はそう思うことが出来ない。
「恐らく、これまでの流れから和也と同じところにいると思ってもいいだろう」
その沈黙を破ったのは、日向の呟きだった。
「だが、その和也がどこに行ったのかは分からない……」
手は、尽きてしまったのかもしれない。
「くそっ!!」
手に持っていた本を地面に叩きつける。本は空しく地面に激突し、乾いた音を立てた。
元々古かった本が、叩きつけられた衝撃でバラバラになる。
ページは千切れ、元は本であったはずのその物体は、ただの紙の集まりになってしまった。
――――だからこそ、それを見つけた。
数多の紙の中に埋もれているわずかな輝き。屈んで拾い上げると、それを凝視する。
「これは……栞、か?」
さっきまで俯いていた日向も、顔を上げそれを凝視する。
「それは確か、みる様が愛用していた栞だと思うが……」
「なんでそれが、こんなに光ってるんだよ?」
紙切れの先に紐を括りつけただけのそれが、小さな電球のように光を帯びている。
これも夕陽に映えているのではない。それのような紅い輝きではなく、神々しい白い輝き。
「神力、だろうな」
「神力?これが?」
「ああ。神力というのは物に宿すこともできる。長い間神力に晒されたものは、その神力が染み付く。それは呪の込められたもの、あるいは悪しき力を持ったもの――今回の場合はあの空間移動の呪術の陣だ。それに触れると過敏に反応するようになる。あと、持ち主が危険に晒された時だ。みる様は強い神力を持っておられるから、そのみる様が愛用されていた栞にはだいぶ神力が染み付いていたのだろう」
なんとなくだったが、その話をちょっとは理解することは出来た。
つまり、この栞にはみるの力が残されているということだ。
「これ、何かに使えないのか?」
栞は依然輝きを放っていた。その輝きは、衰えることを知らないかのように。
よくよく見てみると、この輝きには見覚えがあった。
家に送ってもらう車の中で、あの本をめくったときに感じた微かな刺激。
一瞬だけ太陽を見つめたようなあの刺激の正体は、この栞だったのだ。
「でも……その間ずっと光ってたのなら、和也か誰かが気付いたはずじゃないのか?」
「いや、その神力の込められたものは持ち主が触れたとき、持ち主が――――」
そこで一度日向が言葉を切る。そこから先を言い渋っているようだ。
「持ち主の、なんだよ?」
「――――少なくとも、想っている人物が触れたときだけ……輝くようになっている」
少なくとも、のところに微かながら力が込められていたような気がする。
つまり、条件が満たされていなければこの栞が輝くことはない……ということだ。
「これ、何か役に立つのか?」
その言葉に、日向は強く頷いた。
「こういった物は、持ち主自身の神力と密接な関係を持っている。神力と一言に言ってみても、波長のようなものがあり、それは千羅万別だ。それは使い方、特徴において一人一人違う。私には私だけの波長を持った神力、樹生には樹生だけの神力、といった具合にだ。だからこの栞はみる様に関する全てのことに反応する」
そこまで言われて、オレは理解した。
つまり、オレ達の持つ神力は、他の人と全く同じにはならないということだ。
使い方や特徴という面においては、和也は真言や空に文字を切ることによってその力を使っていることに対し、日向のように刀を介してその力を使うこともある。そして、みるの神力は癒し、といったそれ関連のことに優れているのだろう。
この栞には、みるの神力が色濃く染み付いている。
ということは――――この栞は、みるだけが持つ神力に反応するということだ。
「これだけの神力が残されていれば……みる様の飛ばされた場所にも飛べるかもしれない」
「つまり、みるがいる場所への道しるべになるってことだな?」
――――手は、まだ尽きてはいない。
「樹生、何か書くものを持っているか?」
「いや、持ってないけど……」
「そうか……」
日向が歯噛みする。無理もない、こんなことをしている間にもみるや和也が危険な目に遭っているかもしれないのだ。よくよく考えてみれば、輝く栞や神力について説明している暇もなかったのかもしれない。
そういえば、いつの間にかあの屋上で感じた彼女のオレに対する嫌悪感が消えている。
もしかしたら――――少なからず彼女の信頼を得ることが出来たのだろうか?
そんなことを考えるオレの手の中で、相変わらず栞は輝いていた。
「書くものだったらあるじゃないか。ここは教室だぞ?」
「え?」
「あれだよ、あれ」
そう言って前を指差す。日向が振り返り、それを見た。ここからではよく分からないが、すっかり忘れていたという表情を浮かべているのだろう。
書くものなんて何に使うのかオレには見当もつかないが……
オレが指差した方向には掃除当番の手によってきれいになった黒板と、チョークがあった。



教室の壁一面に広がる黒板に、白のチョークを使って何かを描いていく。
オレはチョークで描かれた白が、どんどん形を成していくのを呆然と眺めていた。
日向は手馴れた手つきで、それでも途中でその形を気にしながら描きつづけていた。
最後に一本線を引くと、彼女の手が止まる。
「……できたのか?」
「ああ。こうゆうのは和也のほうが得意なんだが……」
そこには、円に囲まれた五芒星。さっき本に書かれていたものと似ている。
それほど大きくはない。栞を乗せれば隠れるくらいの、それぐらい小さな円だった。
「その栞をこの上に当ててくれ」
チョークでその真ん中を指す。オレはまだ輝くそれを手に、黒板の前に立った。
「これで……いいのか?」
その栞を五芒星の上へと持っていく。だが、触れてもそれは何も反応しなかった。
「それだけじゃダメだ。あと、真言を唱えて神力を解放しなければ」
「へ?真言?オレ知らないぞ?」
呆気にとられたまま尋ねる。そんなオレを見て、日向は肩をすくめた。
「知らなくて当然だ。真言は私が唱える。そのままでいろ」
そう言ってオレの背後へ近寄る日向。どんどんその距離は近くなっていく。
心臓が跳ねるのを感じた。何せ、彼女は今切り刻まれた制服の上に、オレの学生服を一枚羽織っているだけなのだ。
体が硬直する。いつの間にか彼女とオレの距離はほぼゼロになっていた。背中越しに彼女とオレの体が密着する。
端から見れば、なんとも妙なシチュエーションであっただろう。
「ちょ……」
日向の手が栞を握るオレの手に触れる。彼女の手は、冷たかった。
「いくぞ」
日向が言った。『なんだったかな……』と小声が聞こえてきたのは、気のせいだろうか。
「オン マユラ キランデイ ソバカ」
刹那。何か言葉に出来ないような力がオレの体を介し、栞へと伝わっていくのを感じる。
栞がいっそう輝きを増した。その光が、どんどんオレたちの体へと染み渡っていく。
輝きこそ違うものの、それはさっきみるが空間移動していったときの状態と同じだった。
栞を持つ右手から胸へ、左腕へ。そして足を、最後に顔を包み込んでいく。
視界が、真っ白に染まった。眩しいとは感じない。不思議と、嫌な感じではなかった。
夕陽の紅はすでに視界にない。今、オレの視界は光の白で染まっていた。
突然の出来事にオレの頭も真っ白になっていた。
不意に、その白が黒く染まっていく。目が、自然の光を取り戻した。
暗い。どこかの施設の一室だろうか。少なくとも、さっきまでいた放課後の教室ではない。
「どこだよ、ここ……なぁ、日向」
ようやく慣れてきた目で辺りを凝視する。隅のほうにはダンボールが詰まれ、どこか埃くさく、思ったより狭い部屋。
普段使われている部屋ではないようだ。もっとも、ここがどこの部屋なのかどうかさえ分からないが。
後ろを振り返り、オレと一緒に飛ばされてきたはずの少女の姿を探す。
しかし――――――
「……日向?」
そこに、日向の姿はなかった。
それに、よく考えてみればここにオレ一人でいることが妙だった。
あの栞はみるの力に反応するはずなのだ。それなのに、みるとは全く関係のない場所にいる。
ふと、日向が教室で漏らした言葉を思い出した。
『こうゆうのは和也のほうが得意なんだが……』
そして聞き取りにくいとても小さな声だったが、確かに彼女はこう言った。
『なんだったかな……』と。嫌な予感がオレの頭をよぎる。
彼女がオレにした話を思い出す。神力には様々な波長があり、それぞれの特徴をもつ。
つまり、彼女の持つ神力は真言を使うのにはあまり適していないということ。慣れていないというのもあっただろう。
失敗したのだ。あるいは日向一人がみるの元へと飛ばされたのか。
「どうしようか……?」
暗闇に慣れたオレの視界に、ドアらしきものが映った。
ノブを捻り、その扉を開――――こうとした。
開かない。内側から鍵の開閉はできないようだ。外側から鍵がかけられている。
そしてようやくオレは理解した。積み上げられたダンボール、誇りっぽい部屋。
ここは――――倉庫だ。
オレは、自分から鍵のかかった部屋に入ってしまったのだ。
「お、おい……どうすんだよ……?」



黒く染まっていた視界の中に、光が差し込まれる。
それが人工的な光だと分かり、私はその眩しさに目を閉じた。
少し経ってから目を開く。そこが知っている空間であるということは、すぐに分かった。
そして自分の身に何が起こったのかを思い出す。確か、黒い塊に包まれて……
「ここは……?」
そう呟き、立ち上がろうと足に力を込める。それは空しい抵抗だった。
バランスを崩して尻もちをつく。それから気付いた。手は後ろに回され、縄みたいなもので縛られている。
何重にも巻かれ、それは手首を締め付ける。信じられないほど頑丈に巻かれているようだ。
周りを見渡す。今この場所には、私しかいなかった。
やけに広い部屋に、机と椅子が大量に並べられている。
高い位置にある窓からは、夕陽の紅と夜の闇が交じり合おうとしていた。
その中心で、月が輝いている。
奥のほうから足音が聞こえてくる。すでに誰もいないはずのこの場所に、あるはずのない人の影。
その人はゆらゆらと緑の陽炎を立ち昇らせながら、こっちのほうへ歩いてくる。
その顔を見て、私は驚愕した。
「――――!?」
頭が混乱して、何も考えられなかった。どうして彼が……ここに?
それでもきっと彼は私のことを助けてくれる、そう思った。
しかし――――彼は、私を見下ろしたまま動かない。睨みつけている、そんな視線だった。
私はそんな彼を信じられない気持ちで見つめる。沈黙だけがその場を支配した。
いつまでそうしていただろう。私が彼の名前を呼ぼうとした途端、それは起こった。
急に目の前が白く輝き出した。その白い輝きは、どんどん人の形になっていく。
そこで私は眩しさに耐えられなくなり、目を閉じた。
「――――確か、ここは……」
聞きなれた声が耳に届き、私は目を開く。そこには見慣れた影が立っていた。
「楓さん!!」
「……みる様!?ご無事ですか!?」
私の顔を見て、安心したような表情になる。
しかし何かを思い出したのか、自分の右手を見て楓さんは呟いた。
「樹生……そうだ、樹生はどこだ!?」
「え?」
周りを見渡すが、樹生くんと思しき影はどこにもなかった。
「くそ……やはり、私では無理だったか……」
そう言うと立ち上がり、初めて楓さんが彼の存在に気付く。
「お前……」
「そうやなぁ……楓さんには向かんみたいやな」
あまりにも広いこの部屋に、男の人の声が響き渡る。聞きなれた声だった。
毎日のように聞いていた関西弁。その声は耳に懐かしく残っている。
懐かしい――――この表現は間違っているかもしれない。
彼がいなくなったのは、つい数時間前なのだから。
「和也……」
楓さんが、彼の名前をつぶやいた。
「無理矢理樹生を連れてこようとして、これや……それにその傷だらけの制服と男の学生服……樹生のか?」
舐めるように楓さんの全身を見渡す和也くん。でも、何処かが違う。
いつもの彼じゃない。どうしてなのかは分からないけど、そんな感じがした。
もしかすると、あのときみたいにまた偽者なのかもしれない。
「楓さん……もしかして、また?」
「違います」
楓さんが首を横に振る。つまり、彼は本物の和也くんらしい。
彼に何が起こったのだろうか。彼の瞳の奥、何か尋常ではないものが輝いている。
「また派手にやられたなぁ……まぁ、楓さん。あんたを殺るのは――――ワイやからな」
突如和也くんの周辺の空気が揺れる。その正体は、緑の陽炎。
「みる様、危ない!!」
頭に叩きつけるような衝撃を受ける。楓さんに押さえられたと理解すると同時に、緑の閃光が疾った。
横なぎに疾るそれを、楓さんに頭をおさえられてかわす。
「くっ!!」
楓さんが、止むを得ないといった感じで刀を抜く。その目つきは、真っ直ぐ和也くんへと向いていた。
「みる様は隠れていてください。申し訳ありませんが、和也をおとなしくさせるまで少しそのままでいてください」
「で、でも……」
私のことを縛っている縄のことを言っているのだろうか、一瞬彼女の視線がそれへと向いた。
「早く!!」
楓さんが叫ぶ。それに圧されるかのように、私は机の下へと潜り込んだ。
突如地面が爆ぜる。そこには小さなクレーターのような穴が残っていた。
「和也……どうして……」
「――――何がや?」
鬱陶しげに楓さんを見ながら、和也くんが尋ねた。
「どうして私たちが戦わなければならない!?」
隙なく刀を構えながら、楓さんが答える。和也くんは鼻で笑っただけだった。
「どうして?殺したいから……それで、ええんちゃう?」
彼が右腕をすっと上げる。そして、何もない空中に文字を刻んでいく。
それは、印を切るという動作。同時に、白い弾のようなものが和也くんの周辺で宙に舞う。
違う。あれは弾じゃない――――ただの、丸められた紙だ。
「うらぁ!!」
彼が右腕を振りかぶると、その紙が常識では考えられない速度で楓さんを襲う。
和也くんの神力がこめられたその紙は……銃弾にも負けないほどの速さと威力を手に入れた。
私の動体視力じゃそれを確認することはできない。ただ、風を切る鋭い音が聞こえるだけ。
しかし、楓さんにはそれが見えているらしい。刀を振ると、金属と金属が激突したときのような甲高い音が四発響く。
そして後ろに跳んで防ぎきれなかった紙の銃弾をかわす。さっきまで楓さんが立っていた場所に、二つの穴。
その他の狙いを外したものも地面に激突し、さっきのような穴を開けそれは紙に戻る。
とんでもない威力だ――――と私は思う。間違っても味方に向ける威力ではない。
そして私はようやく理解した。和也くんは操られている、今の彼は彼じゃない……と。
楓さんが和也くんのほうへと駆ける。和也くんの攻撃は遠距離に適している。近づけば刀を使う楓さんのほうが有利。
しかし、和也くんもそれは分かっているらしい。地面を蹴り、後退して距離をおく。
そして適当にそこにあった本を掴むと、真言を唱えた。
すると、本が緑色に輝き、ナイフの刀身が柄から飛び出すかのように中のページが姿をあらわす。
それはその状態で固定され、巨大な剣の一振りと化す。和也くんがそれを両手で振り下ろした。
「くそっ!!」
楓さんにとってそれは予想外の攻撃だったらしい。刀を構え、頭上でそれを防ぐ。
本で作られた刀と、正真正銘の刀が激突する。すると、激突の瞬間本で出来た刀がバラバラになった。
元の本に戻ったのだ。楓さんの周りをバラバラになったページが舞っている。
まさか――――囮!?
「――――遅いわ」
怖いほど透き通った声が響き渡る。あまりにも静かな動き。しかし、その動きは私の目では視認できない。
一瞬の出来事だった。その一瞬で楓さんの背後に回り込んだ和也くんが、拳を構える。
楓さんが和也くんから距離をおこうとする。だが、それより彼が拳を突き出すほうがはるかに早かった。
「――――!!」
「楓さん!!!!」
私はそれを、信じられない気持ちで見ていた。
彼女が声のない悲鳴をあげる。最大の力が込められた和也くんの拳を、もろに受けてしまう。
振り返ったのが災いしたのか、その拳は鳩尾のあたりに決まっていた。
「……チッ」
刀を地面に突き刺し、なんとか立っている楓さんを見て忌々しげに舌打ちをする。
「さすがは楓さん……と言ったとこか。せっかく気絶したとこを殺したろ、っていうワイの気遣いを踏みにじるとはなぁ……とはいえ、見事や。咄嗟に急所をかわすなんてな」
楓さんの足は今にも崩れ落ちそうだった。突き刺した刀が、足が、腕が、震えている。
それでもその顔は怒り、そして悲哀で満ちていた。そんな楓さんを和也くんはただ見下ろすだけ。
「まぁその様子じゃもう動けんやろ?安心しぃ、一発であの世に送ったるわ……」
そう言いながら、右腕を振り上げる。その腕が緑色に輝いていた。
「和也くん……もう、やめてよぉ……」
気付けば、私の目には涙が溢れていた。
心が押し潰されそうだ。いつも私の隣にいてくれた二人が、こうやって殺しあっている。
二人とも大好きなのに……二人とも仲がいいはずなのに……どうして?どうしてこんなことになっちゃうの?
「なんや、みる様か。そんなとこにおったんか。よう見ときや……」
もう――――見たくない。こんなの、見たくない。
「和也くん、目を覚まして!!!」
和也くんの耳に、そして操られた心に届くように叫ぶ。でも――――それは届かない。
「五月蝿いなぁ……ちょっと待ってくださいよ、すぐに済みますから」
ニヤリ、と残酷な笑みを浮かべる。楓さんは、その笑みをただ見ているだけだった。
そして、覚悟を決めたかのように……その瞳を、すっと閉じた。
――――私の目の前の光景が、絶望へと変わろうとしている。
「もう、やめて!!!!」
緑の光を纏った彼の腕が、楓さんへと振り下ろされる。
――――刹那。
白い光が辺りを照らす。その眩しさに私は目を瞑った。
楓さんもその瞳を閉じる。そして和也くんは、振り下ろそうとした腕を目の前に掲げその光を遮っていた。
そして楓さんのときのように、その光は人の形となる。
それは、希望の光のような気がした。どこか、心の奥底でずっと待っていた……そんな感じがする。
「――――待たせたな」
光が、微笑んだ。



締め切られた空間。窓さえもこの部屋には存在していない。
「くそっ、どうすりゃいいんだよ……」
オレは途方に暮れていた。この部屋から出ようにも出られない。
ふと、黒い塊に包まれどこかへ飛ばされてしまったみるの姿が脳裏をよぎる。
――――そのことがオレを焦らせていた。
何度か扉に体当たりすることも試した。だが、硬く閉ざされた扉はビクともしない。
中から叫んでみても外の反応はない。どこか外界から離れてしまったような孤独感がオレを襲う。
オレの手元にあるのは、八握ノ剣と輝きを失ってしまったみるの栞だけ。
八握ノ剣で扉を切ってみることも試そうかと思ったが……やめた。
未だに力をコントロールすることができない。ここでその力が使えたら、と何度も思った。
しかし、途方に暮れていても始まらない。
どうしようもないこの状況だが、もしかするとまだ打開する手段があるかもしれない。
諦めるのは、まだ早い。
もう一度扉を突き破ることを試みようと立ち上がった。
ただでさえ汚い部屋にずっといた為、白いカッターシャツは汚れてしまっている。
目はすっかり慣れてしまった。もうここが暗闇だとは思えないほど、ある程度のものは見えるようになっている。
何度も体当たりしたあとだったので、肩が焼けるように痛んだ。
そんなものに怯んでいる場合ではない。今はできることをやるだけだ。
扉から少し離れた位置から、助走をつけてラグビーのタックルのように肩から体当たりする。
だが、オレの体は空しく弾かれるだけ。思ったよりこの扉は頑丈なようだ。
「もう一回ッ!!」
再び扉から少し離れた場所に立つ。そのまま扉に体当たりしようとした時。
突然、部屋の中が光で溢れる。否、光っているのは床に置かれたみるの栞。
その栞が、再び輝きを取り戻した。それは暗闇に慣れてしまった目にとてもまぶしく、オレは目を閉じる。
その光が、この部屋の中を照らしている。再び目を開いたときオレの目に映った光景は……全く別世界だった。
暗闇でしか分からなかった、この部屋の正体に気付く。
所々に詰まれたダンボール。倉庫であることはオレが思った通りだったが、そのダンボールに張られた紙。
そのダンボールがどこから届いたのか、そしてどこへ届けられたのかということが記されている。
そこには、こう書かれていた――――市立図書館。
昨日見たあの妙に大きい建物だ。それなら人がいない理由も頷けた……もう、閉刻の時間はとっくに過ぎている。
この場所の謎が解けたことで初めて、もう一つの謎に気付く。
「なんで、この栞また光ってるんだ?」
手元にあるその光を凝視する。眩しさに耐えてよく見てみると、光っているのは栞ではなかった。
オレが教室で手にとったときから光っていたので気付かなかったのだが、この栞は押し花を挟んだものらしい。
そして、挟まれていたのは――――四葉のクローバーだった。
「みるらしいな……」
おそらく、栞に残っていた神力は使い果たしてしまったが、この中身にはまだそれが残っていたらしい。
オレはふと日向の言葉を思い出した。持ち主の神力は、持ち主と密接な関係にある。
そして――――持ち主が危険に晒された時、それは輝くのだ。
「急がないと……でも、どうしようか……」
いちいち書くものを探すこともないだろう。余計なことに時間は割いていられない。
手元の栞を見てみる。何か予感めいたものを感じて、それを裏返す。
「あ……」
教室でチョークを使い、あの五芒星を描いたことは運が良かったと言えるだろう。
オレの口元に思わず笑みが浮かぶ。
あの五芒星はこの栞に隠れるほどの大きさだった。その上から、強く押し付けたのを覚えている。
――――栞の裏には、あの五芒星が写っていた。薄っすらとではあったが、十分に事足りるだろう。
必死になって記憶の糸を辿り寄せる。日向が唱えた、あの真言を思い出す。
「オン」
オレは心で念じた。みるの元へ行きたい――――ただ、それだけを。
「マユラ キランデイ」
オレは目を閉じた。精神を統一し、手元にある栞だけに意識を集中する。
「ソバカ」
――――視界が、白く染まった。
目を閉じていても世界が白い。この感覚、忘れるわけがない。
意識がどこか遠くへ飛んでいくのを感じる。これが、空間移動しているという感覚なのだろうか?
さっきのは日向が引き起こした突然の出来事だったので、気付けばそこに立っていたという感じだった。
「――――!?」
突如、頭の中に映画のワンシーンのようなものが流れ出した。それはまるで、今オレの目の前で起こっている出来事のように正確に流れていく。
弾丸のように飛来する紙、銀の軌跡を描く剣、打ち込まれた拳。そして――――少女の、涙の叫び。
『もう、やめてぇぇぇぇ!!!!』
その叫びを最後に、出来すぎた演劇は姿を潜める。それは記憶の一部となり、オレの感覚となる。
オレと、彼女の意識が少しだけ同化していたのだ。
そして、オレは白い世界に別れを告げる。真っ先に目に映ったのは、緑の陽炎。
オレの背後で、泣きそうな少女がいる。だからオレは彼女をなぐさめる為に、こう言った。
「――――待たせたな」



どうして和也が日向を殺そうとしているのか。
普通ならここで驚く所なのだろう。だが、オレは自分でも怖いほど冷静だった。
少しだけ一つになった、みるとオレの意識。その記憶が全てを教えてくれる。
「……操られてるんだな、和也」
「なんや、樹生やないかい。なんでこう邪魔ばっかり入る……ってうわったぁ!!」
和也の言葉を最後まで聞かず、オレは八握ノ剣を一閃した。
突然の奇襲だったのにも関わらず、和也は言葉とは裏腹に容易くそれをかわした。その動きは危なっかしかったが。
「大丈夫か?日向……」
「ああ、すまない」
日向の前に立ち、和也と向かい合う。彼女は片膝さえついてはいたが、ダメージは一時的のようだ。
床に突き刺さった刀が、彼女のみるを守ろうとする雄姿を。地面に点々と広がる穴が、この戦いの壮絶さを物語っている。
オレが戦った蛾龍とは段違いの力。これが守という使命を与えられた者の力なのだ。
もちろん、勝てるとは思えない。とりあえず今は日向が回復する時間を稼がなければならない。
刀を握る拳に力を込める。そしてオレは、ゆっくりとそれを構えた。
「――――いくぞ、和也ァァァ!!!」
「――――やれるもんならやってみぃ!!」
オレの力と和也の力が正面から激突し、周辺の空気が震える。
床を思いっきり蹴り、和也のほうへと駆ける。何も考えてはいない、単調な攻撃。
彼が選んだ道は真っ向勝負だった。学生服の内ポケットから札らしきものを取り出し、指で何かを形作っている。
その指で軽くその札に触れる。するとその札が突然巨大化し、変形していく。一瞬のうちにその札は刀と化した。
刹那、オレの八握ノ剣と和也の紙の剣が激突する。
本物の金属同士が激突するかのような音が反響した。彼の刀は感触、そして威力共に本物の刀と引けを取らない。
刀が擦れる嫌な音がする。それの向こう側、オレのすぐ目の前に和也の顔があった。
「何があったんだよ、和也……答えろ!!」
刀に出せるだけの最大限の力を込める。向こうも同じなのだろう、こめかみに血管が浮かんでいる。
「答える義務なんかないわい!!」

その言葉を合図に、二つの刀が音を立てて分かれる。
わずかに距離を開け、オレたちは睨みあった。刀を構える力は緩めない。
しかし――――この勝負、オレにとってかなり不利だ。
和也は正真正銘の守。自分の力を完璧にコントロールし、さらにオレを本気で殺す気だ。
オレはまさにその対極に位置する存在。何かが溢れ出すのを感じていたが、蛾龍と戦ったときの感覚とは程遠い。
「どした、樹生……見た感じ、本気とは程遠いみたいやないか。それが八握ノ剣に認められた力か?」
「うるさい。お前こそ、その力の使えない一般人ぐらいさっさと殺してみろよ」
強がってはみるものの、正直言って何か策があるわけでもなかった。あのときの力が使えなければ、真の守には勝てない。そのことが、オレを微かに焦らせる。
五秒間の沈黙。そして静寂。空気が重く感じる。汗が一筋、頬を伝っていく。時が止まったかのようだった。
そして時が、動き出す。
先に動いたのはオレではなく、和也だった。しかしそれは攻撃ではない。
何を思ったのか、敵を目の前にして刀を捨てたのだ。そして学生服の中から短冊のような紙を取り出す。
そのとき、オレは一昨日の和也が言っていたことを思い出す。
『ワイは神力を呪文みたいな真言を唱えたり、空に文字を切ったり、指で印を結ぶことで引き出してんねん』
その光景を見て、ようやくその言葉の意味を理解した。
つまり、その時間を与えなければいい。微かに残る勝利への道しるべ。しかし、オレに出来るだろうか?
「オン キリキリ ソバカ」
彼が真言を唱えた途端、周囲を緑の陽炎が覆っていく。
さっきと同じように札を指でなぞる。何かが来る……しかし、その何かの正体が分からない。
彼が持っている札の数は三枚。その全てが、緑色の燐光を放っている。
「行くで!!」
和也がそのうちの一枚を投げる。それは光速の矢となり、オレの頬を裂く。
裂けた頬から鮮血が滴り落ちた。一滴、そして二滴。床に小さな血だまりが広がっていく。
そんなことを気にしている暇はない。再度攻撃が来るのに備えて、再び刀を構えなおす。
突如、和也の姿が視界から消滅した。
「なっ!?」
「樹生くん、後ろ!!!」
みるの叫び声が聞こえる。それの意味を理解するより早く本能的に体が反応していた。
かろうじて横に跳んだオレの横を緑の光が通過していく。二発目の光の矢。
しかしこの攻撃は厄介だ。見えない敵が、いつ死角から飛び道具を投げてくるのか分からない。
真言は聞こえてこない。彼の持つ光の矢は、あと一発。
感覚を研ぎ澄ます。ここが図書館だったのもオレにとって運が悪かった。
相手にとって隠れる所が多すぎる。いつ攻撃が来るか分からない恐怖、それだけがオレを突き動かす。
だが、それはオレにとって隠れる所が多い、ということにもなる。
オレは数多に並ぶ本棚の中に紛れ込んだ。ここなら和也の死角になると思った。
しかし――――
「何ッ!?」
突然オレの足元が爆ぜる。日向が戦った後にあったような穴がぽっかりと口を開けている。
穴の中に、丸められた紙が入っている。その攻撃の正体は彼の力を込められた紙の銃撃。
やられた――――とオレは思う。残った札はあくまでミスリード。オレをここへ誘いだすための罠だった。
攻撃は頭上で行われている。見上げると、本棚の上から再び攻撃しようとする和也がいた。
「かかったな、樹生……これで終わりや!!」
和也の周辺には十発程度の紙くずが浮かんでいた。すぐにでもそれはオレに襲い掛かってくる。
本棚と本棚に挟まれたこの状況、前後には動けない!!
「オン マカシュリ バッタ」
十発の紙くずが意志を持ったかのように突っ込んでこようとしている。
あの穴から見て銃弾にも比類するほどの威力。いや、銃弾の威力なんて軽く越えているだろう。
紙の弾丸――――押し寄せてくる死の恐怖。それを防ぐ手立てはない。
「くそぉぉぉ!!」
そのとき、ふとオレはさっき閉じ込められていた時のことを思い出した。
暗く閉ざされた部屋、そして硬く閉ざされた扉。
あの部屋の壁、そしてあの扉ほど、この空間は硬く閉ざされてはいない。
和也が腕を振りかぶる。それを合図に紙の弾丸が鋭い音を立てて突っ込んでくる。
オレは後ろの壁に渾身の力を込めて体当たりした。その巨大な本棚が音を立てて崩れる。
それと一緒にオレは倒れこんだ。しかし、その遅さ故完全に弾をかわしきることができない。
足に弾が一発掠る。その痛みに、オレは顔をゆがめた。
和也は、信じられないといった表情を浮かべている。
「無茶苦茶やん……」
その咄嗟の隙を突き、オレは痛みを堪えて本棚で埋められたスペースを脱出する。
勉強用に作られた広い空間に出て、みるとなんとか立ち上がっている日向と合流した。
「大丈夫か、日向?」
「ああ……だいぶ動けるぐらいには回復した」
「樹生くん――――足!!」
「大丈夫だ」
オレのその言葉に、彼女の大きな瞳に大粒の涙が溜まる。しかし、そんなことを気にしている暇はなかった。
日向が横へ跳ぶ。そして同じようにオレもみるの手を引いて後ろへ跳んだ。
その中心に光の矢が突き刺さる。そこに微かに溜まっていたオレの血がはねた。恐らく、さっき余った一枚だろう。
和也が怒りに震えている。さっきの一枚は怒りに任せて投げたという感じだ。
「ワイをここまでコケにするとは……けどな、三人ともこれで終わりや」
その言葉はあまりにも聞き取りづらかったが、殺気がここまで伝わってくる。
和也が何かを呟く。恐らく真言だ。懐から取り出した札を撫ぜ、それを刀へと変形させる。
ただ、その大きさが尋常ではない。柄だけが和也の手にぴったりと合ってはいる、が……
刀身の部分が半端なく大きかった。和也の身長の二倍以上……いや、三倍以上あってもおかしくはない。
右手にその刀を握り、左手には緑色に輝く札が三枚見えた。さっきの矢と同じものだ。
「これで全員終わりや!!」
和也が巨大な刀を横薙ぎに一閃する。前後左右、どこにも逃げ場はない。
おそらく屈んだり、上へ跳んだとしてもそこで三枚の札が襲ってくるのだろう。
無論、刀で食い止めてもその札は襲ってくる。
刀で斬られるか、札にやられるか……彼は選ばせる気なのだ。
一瞬の選択。オレは――――前へ行く方を選んだ。
「日向ァァァァァ!!!!!」
オレは叫んだ。彼の刀がありとあらゆる机や椅子を破壊し、オレ達三人の元へと向かってくる。
オレが叫ぶ意味。そしてオレの策を……彼女は、気付いてくれたのだろうか?
和也とオレの距離が短くなる。和也の顔にはっきりと驚愕の色が浮かぶ。
まさか突っ込んでくるとは思わなかったのだろう。和也に一瞬の隙が生まれる。
長い剣は持ち主から近くなるほど――――柄から近い所ほど、敵へと到達するのが早い。
そして、そこで止めてしまえば剣の先が後ろの二人まで到達することはないのだ。
片腕の力しか込められていない刀は、オレが渾身の力を込め、八握ノ剣を振るとあっけなく止まる。
小気味よい音を立て刀が激突する。大きさの違いすぎる刀同士の鍔(つば)迫り合い。
「早まったな樹生!!わざわざ札の餌食になりにきたんかッ!?」
右腕に込めた力を緩めぬまま、和也が左手を振りかぶる。
そして――――後ろから地面を駆ける音が聞こえてきた時、オレは無意識に微笑んだ。
「悪いな、和也。オレの――――いや、オレたちの勝ちだ」
彼は失念していた。この戦いは、三対一なのだ。
和也は無理に突っ込んできたオレに意識を集中しすぎた。
彼に近づいたオレの体は、刀を止めるだけでなく後ろにいる二人を隠す壁の役割にもなる。
和也と、オレ。その直線的な位置、オレの後ろから走ってくる少女の影。
無論、和也にその少女が見えるわけがない。
その影がオレの背後で跳躍する。男性用の学生服が羽のように揺れている。
「なっ、楓さん!?」
和也がその影を見上げ、叫んだ。慌ててその左手に持つ札を投げようとする。
だが、彼女が彼の懐に着地するほうが、はるかに早かった。
「これで終わりだ」
部屋の中に鈍い音が響く。日向が刀の柄で、彼の鳩尾に突きを食らわせた。
「ぐっ……」
和也の足から力が抜ける。そのまま彼は地面に倒れこんだ。
八握ノ剣と交わっていた刀が紙へと戻る。みるみるうちにそれは縮み、小さな札になった。
緑の陽炎が姿を潜める。彼の手元で輝いていた札も、ただの紙へと戻った。彼の力が途切れたのだ。
「終わった、のか?」
オレも足から力が抜けていくのを感じ、地面に座り込んだ。額には大粒の汗が浮かんでいる。
「樹生くん!!楓さん!!大丈夫!?」
背後からみるの叫び声が聞こえる。オレは振り返り手を上に挙げ、それに応えた。
オレのその仕草を見て、みるの表情に笑みが戻る。こっちのほうへ走ってくるのが見えた。
突如、背中に衝撃を感じる。温かいそれは、みるの体だった。

「よかった、よかったよぉ……」
彼女がオレの背中に顔を埋めている。――――泣いているようだった。
顔が紅潮しているのが自分でも分かる。でも、不思議と離れたいとは思わなかった。
「楓さんが……樹生くんが、和也くんに殺されるって思うと、私……」
絶えず聞こえてくるみるの嗚咽。きっと、彼女は心を打ちひしがれるような思いでこの戦いを見ていただろう。
「よく、頑張ったな」
「よかった……ほんとによかった……」
彼女はそればかりを繰り返す。オレは、ポケットからあの栞を取り出した。
再び輝きを失ってしまったその栞。少しだけそれを見つめると、それをみるに差し出した。
「これ、返すよ。オレはみるに助けられた――――ありがとう」
この栞はオレをここへと運んでくれた。そうでもなければきっとオレは閉じ込められたままだっただろう。
それに、もし運良く出られたとしても……そのときには日向とみるは、彼に殺されてしまっていたかもしれない。
そんなの――――見たくない。
だからそれは、心からの言葉だった。
「樹生くん……」
顔を上げ、それを受け取り呆然と見つめる。そして彼女は再び泣き出した。
「…………」
日向は何も言わず、黙ってこっちを見ていた。恥ずかしくなって思わず視線をそらしてしまう。
「…………………ありがとう」
それだけ呟くと、彼女は慌てて振り返り、和也のほうへと向いた。
驚いたが、オレは微笑んだ。
――――感謝したいのは、こっちのほうだよ……
オレはそれだけ言いかけて、口を噤んだ。
彼女がオレの考えていることに気付いてくれなければ、今ごろオレは死んでいただろう。
「あとは、コイツだな……」
オレは和也のほうへと視線を移す。彼はまだ気を失ったままだった。
彼が操られていた理由。それが依然不明なままだ。
ようやく泣き止んだみるが立ち上がり、倒れている和也の側に寄る。
「今度は、私が和也くんを助けてあげなきゃ……」
そう呟くと、みるの手が白く輝く。あのときの栞と同じ色だった。
和也がその白い光に包まれていく。黒い邪気のようなものが、彼の体から抜けていった。
「これで大丈夫……助け給へ清め給へ」
「うぅっ」
和也が呻く。ゆっくりと瞳を開き……彼の意識が覚醒する。
「――――こ、ここは……図書館?なんでワイこんなところにおるんや?」
漫画などでよく見る、操られていた人が目覚めた際に発する台詞と、まったく同じことを言う。
「あれ?みる様……泣いてはったんかッ!?」
弾かれるように上体を起こす和也。そしてその視線はオレ、日向へと向けられ……目を細める。
「楓さん、どうしたんや?その格好……みる様は泣いてはるし、樹生は思いっきり疲れとるし」
そのとき、何かに気付いたかのように彼がハッと顔を上げる。その視線はオレのほうへと向いていた。
「まさか、樹生……お前こんなところで二人とえちぃ行為を……ってゲフゥッ!!」
日向の一撃で再び撃沈する和也。さっき、オレの八握ノ剣の一閃をかわしたとは思えないほどあっけなかった。
そしてそれはオレがこれまでに見た、いつもと同じ和也だった。
「あ、楓さん!!また和也くん気絶しちゃったじゃない!!」
――――操られてたときのほうが、いろいろと強かったんじゃないか?



「なるほど……それでこんなふうに……」
再び目覚めた和也に、日向が一部始終を話す。話が最後に近づくにつれ、彼の表情がどんどん沈む。
オレの足の傷は和也に思いっきり見せたあと、みるに治癒してもらった。
「申し訳ありませんでしたッ!!!」
話を最後まで聞くと、いきなり和也は土下座を始めた。
急な出来事に驚くオレとみるの傍ら、日向はそれを冷めた表情で見ていた。
「とりあえず、このことは真柱様に報告させてもらう」
「うわぁぁぁぁぁ、楓さんそれだけは勘弁をォォォォォ!!!」
慌てて日向へと訴える。その目には涙が浮かんでいた。
「もういいんじゃないか?とりあえず思いっきり油断したみたいだけど、急な出来事だったんだし」
あえて『油断』の部分を思いっきり強調する。
「そ、そうです!!油断したんです!!」
和也が叫ぶ。だが、そんな彼を見る日向の視線は相変わらず冷たかった。
「みる様をお守りする者が油断なんかするな」
彼女の言葉は辛辣で、それを聞いた和也が再び暗い表情になる。
「も、もういいじゃない、ね?みんな大丈夫だったんだし、結果オーライだよっ」
みるがそんな二人のあいだに立って、仲裁に入った。和也の瞳が輝く。その目には涙が浮かんでいた。
「み、みる様……一生お守りしますっ!!!」
「当たり前だ」
その言葉は日向の一言によって一蹴される。
だが、みるが止めたことで功を奏したのか、日向が勘弁したような表情を浮かべた。
「もういい。今回のことはなかったことにしておこう――――それよりも、無事でよかった」
その言葉に和也の表情がパァッと輝く。まるで悪戯を許してもらった子供のようだ。
「ありがとうございますぅっ!!」
それを聞いて日向の顔が――――少し微笑んだように見えた。
「和也くん、教室で呼んでも全然反応しないんだもん……何があったの?」
「いや、頭がボーッとして……今思えば、あの本に操りの呪か何かがあったんやろうな」
後悔するような口調で、和也が呟いた。その視線は宙を漂っている。
「んで、気付いたらここやったってわけや」
そう言って苦笑いを浮かべた。やはり、あの本が全ての元凶だったということだ。
「そういえばあの本、ここで借りたんだよな……?」
オレが呟く。その言葉に和也が頷いた。
「ああ、そうや。そういえば」
「何かあるのか?」
「この本、誰かが落としていったんや。返そう思ったらいなくなってたし……で、どんな本か見たらあれやった」
「おいおい、人が落とした本に興味示すなよ?」
そう言ってため息をつく。みると日向は何か変なものを見るような視線で和也を見ている。
「しゃーないやん!!というか、図書館の所有の本やからいいかなぁ〜……と」
最後のほうは音量が下がっていた。オレたちの視線に臆したわけではない。
とある気配を、オレたちは感じ取っていた。
暗い、水の底にいるような感覚。もう、この感覚は飽きるほど体験していた。
――――――黄泉の裔。
「その本、実は僕が落としたんだよねぇ〜〜〜♪」
どこか気の抜けた、幼い声が聞こえてくる。視線を声のした方向へと移す。
その声には聞き覚えがあった。夕刻の屋上、どこかその場に不釣合いだったあの声。
声の主は、本棚の上で微笑んでいる。
「あのときの……?」
みるが驚いたかのような声をあげる。
それは少年だった。まだ小学生……いや、中学生くらいだろうか?
太陽の光のような金髪、中世的な整った顔。パッと見では女の子に見えてもおかしくない。
だが、そんな明るそうな外見とは裏腹に禍禍しい気配を放っている。
その正体は黒い邪気。みるが和也を元に戻したとき、彼の体から出ていたものと同じだ。
「ハハハ……その兄ちゃん本当に守なの?弱っちくてたまんないよ」
「何?」
その言葉に和也の頬が引きつる。
「ったくさぁ、せっかくその兄ちゃんをおじさんに差し出そうっておじさんの所に行こうと思ったら、迷っちゃうし……広すぎるんだよね、この図書館。それに帰ってきたら帰ってきたで『操り』解けてるし……おじさんも『連れて来い』とか言うし……自分で来なよ、ってカンジだよね」
それだけ一気に言うと、その少年がせせら笑う。
「おじさん、とは誰だ」
刀を構えながら、日向が問う。その質問に少年は肩をすくめた。
「誰だ……って言われてもねぇ。一応シークレットだし、言えないよ♪」
人を小馬鹿にしたようなその口調が、オレの神経を逆なでする。
「このガキ、馬鹿にしよって……」
和也が怒りに身を震わせながら言う。今にも殴りかかりそうな勢いである。
「ま、そこの兄ちゃんを必要にしてた人だよ。安心してね、ただの人間だから」
「黄泉の裔が人間の言うことに従うのか?馬鹿なことを言うな」
日向のその言葉を聞いて、ハハハと少年が笑い声を漏らした。
「聞いてるんでしょ?僕たちが今目的を持って行動してるって」
微笑んだまま語る少年。その笑みはあまりにも無邪気だった。怖いほど無邪気すぎた。
だが、当然のことながらオレは目的のことについて初耳だ。和也と日向だけが硬い表情をしている。
「その目的ってのが……そこにいるお兄ちゃん」
和也のことを指差しながら、笑う。
オレには、少年が嘘を言っているようには見えなかった。
あまりにも子供のようなその笑顔に騙されているのかもしれない。だが、そんな感じがした。
「ま、解けちゃったみたいだからしゃーないかっ。もう一回やればいいんだし……時間かかるからイヤだけど」
その言葉と共に少年がパチン、と指を鳴らす。
――――風が吹いた。いつの間にか開け放たれた全ての窓から、枯れ葉が入り込む。
一瞬にしてその枯れ葉がこの空間を埋め尽くした。
「うっし、準備完了っ!!」
ぶんぶんという音が似合いそうなほど、大袈裟に腕を回している。準備運動だろうか?
「樹生」
名前を呼ばれ、その声がした方向へと向く。そこには油断なく構えた和也がいた。
「ここは楓さんとワイに任せて、みる様と一緒にアイツが言ってる『おじさん』とやらを探してきてくれんか?」
「……え?」
「アイツの言うことが本当なら、ソイツはここのどこかにいるはず。信じたわけやないけど」
そこで一度言葉を切る。彼の視線が、みるのほうへと向いた。
「この場にみる様をいさせるわけにはいかん。樹生、お前に護衛を任せる。探すのはついでや。今回の事件はなんか臭うで……ホンマに黒幕がおるかもしれん。それが人間ならともかく、黄泉の裔やったら……逃げや」
オレは日向のほうへと視線を移す。彼女はただ、頷いただけだった。
そして、みるは――――
「分かった。樹生くんが一緒だから大丈夫だよねっ」
こくん、と縦に強く頷く。オレの答えを待ってさえもいなかった。
「……それに、私も役に立ちたいし……」
消え入りそうな小さな声だったが、確かにそれはオレの耳へと届いた。
その台詞は、オレに何をすべきかということを教えてくれるには十分だった。
「……分かった。みる、行こう。二人とも気をつけろよ!!」
みるの手を引き、駆け出した。
しかし、突如目の前にさっきの少年が現れる。
オレはあまり慌てなかった。自分でも驚くほど冷静でいられる。使命感――――それだけが、オレを動かす。
「行かせないよ」
「……行かせてもらうさ」
八握ノ剣を構える。そしてオレはそれを横に一閃した。
影が揺れる――――揺れたのだ。まるでそれは風が水面を撫ぜたかのように。
そして、それだけだった。他には何も起こらない。
さすがにその光景には驚かずにいられなかった。先を急ごうとする足が止まる。
「樹生、行け!!」
日向が叫ぶ。一瞬のうちにその影の懐に現れた彼女は、刀を横に薙いだ。
少年の表情が歪む。そしてその影は何事もなかったかのようにその場から消滅した。
そこには、日向の刀によって発生した風圧で真っ二つに切られた枯れ葉が舞っている。
その隙をついてオレ達はその空間を飛び出した。その区画を飛び出し、ロビーのほうへと向かう。
少年が追ってくる気配はなかった。
そしてオレたちはそのまま走りつづける。まだ見ぬ敵へと向かって……



斬っても、手ごたえは無かった。
手に残るのは空を斬った感触。ただ、刀を振っただけ――――そんな感じだ。
「和也、行くぞ!!」
その嫌な感じを振り払う為に、私は叫んだ。
和也が頷き、真言を唱える。緑の閃光が彼の体を包み込んだ。
あの黄泉の裔はいつの間にか姿を消している。
それはあのとき、屋上で起こった出来事と酷似していた。
奴がどのように攻撃してくるのか分からない以上、無闇に動くことはできない。
神経を研ぎ澄ます。気配はある。だが、どこにいるのかまでは分からない。
恐らく、奴の実力は……蛾龍、剣仁。あの二人以上だろう。何故だか分からないがそんな感じがした。
「臨兵闘者皆陣裂在前!!」
和也が叫ぶ。それと同時に緑の閃光が少年へ向かって疾る。
少年が微笑んだ途端、その閃光が貫通する。だが、貫通したあとは何も残っていなかった。
再びその影が揺れ、消滅する。私は歯噛みした。
どこか遊ばれているような感じがして、癪に障る。
「はははっ、僕を倒すって言ってた割には二人とも弱っちいじゃん」
どこからかあの声が聞こえる。脳に直接話し掛けてくるように、それは頭に響いた。
声のした――と思った――方向を向いてみても、何もない。
辺りを見回してみても、さっきと変わったところは特になかった。
和也も同様なのだろう、ただ首を動かして周りを見ているだけ。
突如、和也がこっちを向いた。その表情に明らかな驚愕の色が浮かぶ。
「楓さん、後ろ!!」
「なッ!?」
慌てて後ろを振り返る。なんと、そこで私にナイフを向けているのは――――剣仁。
「新手ッ!?」
状況を知らない和也が叫ぶ。これはすでに私が倒した相手だとは知らずに。
その振りかぶったナイフを防ぐ為に私は刀を構えた。剣仁の表情が微笑みへと変わる。
――――その微笑みは、少年とそっくりだった。
変な音が響き渡り、刀と何かがぶつかり合う。そう、何か――――ナイフではない。
それが音を立てて床へ落ちる。なんと、それは本だった。
「なんなんや、一体!?」
和也が叫ぶ。それには私も同感だった。奴の攻撃は不規則で、かつ予想し難いものばかり。
再び風が吹く。姿を現さない敵にもどかしさばかりを感じてしまう。
切り刻まれた制服の隙間から入り込む風が冷たい。だが、額には汗が流れていた。
「そうだねぇ……このままじゃ面白くないから、いいこと教えてあげる♪」
その言葉と共に、部屋の中に小さな竜巻が起こる。
葉が渦巻いている。その中心に、あの少年が立っていた。
「狸と、狐……お兄ちゃんとお姉ちゃんは、何を見てるの?」
竜巻が収まり、少年がその姿を現す。その口元に笑みをたたえて。
――――狸と狐。その二つの言葉に、なんの意味があるのだろうか?
「もう一つ、面白いことをしてあげるよ」
彼がパチン、と指を鳴らした。何度目かの風が吹き、それは収まる。
和也に変化が訪れたのは、そのときだった。
「なっ、なんで楓さんが二人おるんやッ!?」
和也が叫ぶ。慌てた様子で私と少年の顔を何度も見比べている。
だが、それは私も同じだった。
「和也が……」
おかしなことに……その和也は二人いたのだ。
屋上でのときのように彼が化けたのか。しかし、さっきより上手く化けているようだ。
さっきはすぐに偽者だと分かったのだが、今回は全然区別がつかない。
あるいは……さっきは、わざと気付かせるために下手な化け方をしたのかもしれない。
彼と同じ変化が私にも起こっているらしい。しかし……これで謎は解けた。
あの黄泉の裔が操るのは幻術。狸と、狐。この言葉の意味は恐らく、枯れ葉を使う。
狸や狐が頭の上に葉を乗せ、変身したりするというのは有名な話だ。
今思えば、いろんなところにそれはあった。樹生と二人でいたあのときや、少年が初めて私たちの前に姿を現したとき。そして今、この部屋にも葉は満ち溢れている。
とりあえずこの葉を今はなんとかしなければならない。しかし、それにしても量が多すぎる。
どこへ動いてもそれを踏みつけ、どこへ動いてもそれは舞っている。
開け放たれた窓、そこからは絶えず風が吹いている。この天候も私たちにとって分が悪い。
とりあえずは窓を閉め――――いや、違う。
私はそれを理解した途端、地面を蹴り、さっきまでの記憶を頼りに私が本物だと思う和也のほうへ走る。
これは、賭けだ。
「破ッ!!」
そして私は、刀を一閃した。危うい所で和也――偽者の可能性もあるが――はその攻撃をかわす。
「ちょ、危ないやないか、楓さん!!いや、まさか偽者ッ!?」
もう一方の和也が高く跳躍し、札を撫ぜる。そして刀に変化したそれを振りかぶった。
軽く横へ跳躍しそれをかわす。その刀が空を切る鋭い音がした。
それと同時に攻撃されたほうの和也も私から離れるようにして横へ跳んでいた。
跳ぶと同時に真言を唱える。攻撃することで私はそれを食い止めた。
「くっ」
攻撃しようとしたところを私に防がれ、声を漏らす。きっと、どちらが本物なのか迷っているのだ。
その一瞬の隙を利用し、私は足元に落ちていた本を蹴り、地面を滑らせる。
そしてその本は刀を外して体勢を立て直していた和也の足元に当たる――――ハズだった。
それは足を擦り抜け、倒れた机の脚へとぶつかる。
私はそれを見逃さなかった。そして確信する――――本物は今迷っている和也だ。
再び私は刀を横へ薙いだ。和也が札を刀へと変え、私の攻撃を防ぐ。無論、私にその攻撃を当てる気はない。
金属と金属が激突する、和也と樹生が戦っていたときのような音が響いた。
本物の刀と偽者の刀の鍔迫り合い。私は、このときを待っていた。
偽者の和也はどちらを攻撃するのか決めかねているようだった。演技、あるいはどちらを先に殺すかという迷い。
「和也、聞け」
聞こえるか聞こえないかというくらいの小さな声。和也が疑問の表情を浮かべる。
「――――本物ですか?」
「ああ。信じてほしい。私が何とか奴の気をそらす。だからお前は……」
小声で呟く。和也の耳になんとかそれは届いたようだ。和也が軽く頷く。
そして音を立てて私たちは分かれた。左右両方の和也の顔を見比べる。
それは演技だった。演技に自信があったわけではないが、どちらが本物なのか迷っているという印象は与えられたはずだ。
刹那、本物の和也が大きく後退する。体勢を立て直し、ブツブツと何かを呟いているのが見えた。
私はそれを見て微笑む。そして偽者のほうへと刃を向けた。
真っ直ぐその顔を見た。その瞳の奥、何か黒いものが怪しく輝いている。
最初からよく見れば分かったのだ。この和也を、私は一度見たはずなのに。
「行くぞッ!!」
私は叫び、偽者の和也のほうへ駆ける。まだ私たちが偽者を見抜いたとは気付いていないはずだ。
「ちょ、楓さんッ!!」
焦ったかのように叫び、紙の剣で私の攻撃を防ぐ。再び金属音が響く。
私はそれを無理矢理力で押し切り、その防御を跳ね除ける。
苦しげな表情を浮かべ、偽者が後ろへと跳躍する。私は攻撃の手を緩めなかった。
縦、横、横、縦。次々と銀の軌跡が描かれていく。偽者はその一つ一つをさばき、時にかわし、時に防ぐ。
その私の不自然さにようやく気付いたらしい。さっきから私はもう一方を気にせず攻撃を繰り出している。
「まさか……気付いちゃった?」
わざとらしく舌を出し、やっちゃったという表情を浮かべる。
私は一瞬だけ本物の和也のほうへ視線を移す。彼はまだ何かを呟いている。否、真言を唱えている。
左手の右手と中指を組み合わせ、親指と薬指で円を作る。それは破滅を示す印。
右手は文字を描き出している。
――――非 人 者 達 為 滅 向 詩
その意味はこうなる。
『人に非ざる者達、滅びへ向かふための詩』
彼の体から緑の陽炎がゆらゆらと立ち昇る。今日、何度も見た光景だった。
「なんで分かったのさ、僕の変身は完璧だったのにっ!!!」
私の攻撃を防ぎながら、偽者の和也が叫ぶ。おそらく元に戻る暇がないのだろう。
確かに完璧だった。和也と私では戦い方が全く違うのに、一人で二つの役を演じきったのだ。
刀ばかりを使っていたのもそのためだろう。札を刀にする素振りを私にだけ見せたのも、上手い演技だった。
そして、一度に幾つも幻術を重ねることが出来ないらしい。だからきっと蹴った本もすり抜けたのだ。
連続攻撃を続けすぎて、そろそろ体力に限界が訪れようとしている。
さっきは寒いと感じた私の体も、今は熱い。
再び和也のほうへと視線を向ける。緑の陽炎――――それが、周りを覆い尽くしていく。
いや、侵食しているといったほうが正しいだろう。
私の刀と、偽者の和也の刀が火花を散って離れる。いつの間にか、緑の侵食は部屋中に広がっていた。
さすがにさっきまで楽観的だった偽者――――いや、少年の表情に明らかに焦りの色が浮かぶ。
侵食は、部屋中を緑に染めている。
私の体を除き、この部屋にある物の全ては緑に染まっている。
倒れた机や椅子も、数多の本が並んだ本棚も、床に散らばった本も。そして枯れ葉の全ても。
「そういや、さっき準備完了とか言ってたなぁ……ワイも、準備完了っ」
真似、だろうか?この状況でそんなことを言えるのは……さすが和也と言ったところか。
「な、何するつもりっ!?」
「単純な話や。ワイの神力を、この空間『全てにある物』に植え付けた」
少年は再び姿を消そうとする。が、しかし何も起こらない。
私は黙って和也の説明を聞いていた。ただ、私の周りの少しの空間だけが普通の色を保っている。
「無駄無駄。ワイの神力がそれを押さえこんどる。もうお前は何も出来ん……例え、偽者であろうと」
どうやら、私が足止めをしているうちに全てを理解したらしい。
あのとき、私はこう言った。
『だからお前は……』
和也が微笑む。しかし、目は笑っていなかった。
「さっき、ワイのこと弱いって言ってくれたよな……取り消すんやな」
『だからお前は……全てを、破壊しろ』
「ワイは……日の宮の、守や。みる様をお守りする者……そして、それが使命」
緑に侵食された全てが輝きだす。緑色の輝き、それはまるで宝石のような眩しい輝き。
「オン」
少年の表情が驚愕へと変わり、
「コロコロ センダリ」
そして、恐れへと変わる。
「マトウギ……」
これで、終わりだ――――そう言ったようにも、聞こえた。
「ソワカ」
刹那、耳をつんざくような爆発音が轟く。
爆発という表現は間違っているのかもしれない。全てが、音を立てて崩れていく。
少年もまた然り。悲鳴をあげてそれは消えていった。
後に残ったのは、枯れ果てた草原のような……落ち着いた空間。
図書館の一部が、まるで切り取られたかのように消滅している。
月明かりが照らしている。今日は――――満月だ。
「やっと、見つけた」
和也が呟く。その向こう、昔は庭だと言えた場所に木が立っている。
その根元のところに、さっきの少年が立っていた。しかし――――その顔は怯えている。
「もう、もう僕は戦えないよ……だから、許して……」
つまりはこういうことだ。
図書館の中にいたあの少年こそ、この黄泉の裔が作り出した幻。
私たちに幻を見せることが出来ても、実際に自分自身に能力を与えているわけではない。
なら……どうして彼への攻撃は全てすり抜けたのだろうか?
答えは簡単、それ自身実体ではなかったのだ。開け放たれた窓からの枯れ葉は、そう思わせるための布石にすぎない。
そして本人も言っていた。――――何を見ているの?と。
和也はこの建物を破壊し、本物を炙り出したに過ぎない。
そう、これは賭けなのだ。だが、私たちはその賭けに勝った。
和也が軽く哀れみの視線を送ると、真言を唱えた。緑の閃光が彼へと疾る。
それはその少年を真っ二つに切り裂いた。少年が、砂塵と化して風に流れていく。
己の力を過信しすぎた者の、最後だった。
「和也、すまなかった」
気付けば私は謝っていた。彼は――――そう、立派な守なのだから。さっき彼を責めたことを謝ったのだ。
「謝ることないって。それに、相手のカラクリに気付いたのは楓さんやからな」
そう言ってはにかむ和也。その顔が、少し火照っている。強力な力を使いすぎたらしい。
しかし、その微笑みは――――
満月の光に晒されて、妖艶なくらいに輝いていた。



オレ達は走った。おそらく、図書館の区画にはいないと思われた。
きっと、その黒幕がいるのは奥のほうにある――――ここの所有者の部屋。
確証はなかった。だがそれが一番答えに近いのではないか、と思った。
「樹生くん……ちょっと、速いよぉ……」
「あ、悪い」
思わず、自分のペースで走ってしまった。慌てて一度立ち止まる。
「はぁはぁ……」
みるは膝に手をつき、肩で呼吸をしていた。相当疲れたらしい。
「すまん、みる……ちょっと焦った」
「ううん、全然大丈夫っ。それより急ごっ!!」
それだけ言うと、彼女はオレを置いて走り出す。オレは慌ててそれに付いていった。
しばらく走りつづけると、奥の部屋へと辿り付いた。その扉だけ妙に豪華なつくりで、いかにもという感じの部屋だ。
ゆっくりとその扉を開く。わずかに開かれた隙間から、光が差し込んだ。
――――間違いない、奥に誰かがいる。
その扉を最後まで開くと、最初に何か賞状のようなものが目に入った。
感謝状――――だろうか。名義はこの市から送られたものになっている。
壁には結構な大きさの肖像画がかけられている。その顔に、微かながら見覚えがあった。
ガタン、と椅子を引く音が聞こえた。音がした方向へ視線を移す。
その部屋の主と対峙する。その顔を見て、オレは驚いた。
見覚えのある顔。どこかで見たことがあるかと思えば……テレビや新聞で見たことがある。
「アンタ……跡部 贋十郎(あとべ がんじゅうろう)じゃないか」
苦しげに表情を歪める男。どうやら、図星のようだ。
コイツは有名な――――政治家じゃないか。
跡部贋十郎。表向きにはかなり有名な政治家だ。衆議院の議員か何かをやっている。
自らの立場を省みない政治を掲げ――――ボランティア活動を積極的に行っていたような気がする。
総理大臣の座に近い男、とも言われていた。
どうして、こんな男がここに?
ふと、みるが昨日言ったことを思い出す。この図書館は確か……政治家が寄付したものだったな。
それが跡部だったというわけか。
「なんで政治家が黄泉の裔を動かしている?」
オレは尋ねた。跡部の表情に、はっきりと困惑の色が浮かんでいる。
「き、貴様等……誰だ!?朧(おぼろ)は、朧はどうした!!!」
「朧?」
みるがその名を呟く。そして何かを思い出したかのように言った。
「もしかして、あの少年?」
「もう少し、もう少しだったのに……どうして貴様等は邪魔をする!!」
「何を言ってるんだ?」
跡部が何を言っているのか全然分からない。そもそも、コイツの目的は一体何なんだ?
「あの陰陽師の末裔を使えば……私こそが総理大臣の座を手に入れることが出来たのに!!!」
「陰陽師の末裔って、まさか……和也?」
そこまで言われて、オレは初めて理解した。
一昨日、真柱さんが言ったことを思い出す。
『悪意を持ち、守の力を利用しようとする偽政者もいるのです』
「私は悪くない!!私はそそのかされただけなんだ……そして朧・蛾龍・剣仁の三人の力を借り……!!」
そこまで言って一度言葉を切る。その額には大粒の汗が浮かんでいた。
「そうだ、あの女……!!!」
「あの女?」
「あの女が全部悪いんだ、私は悪くない!!だから、だから、殺さないでくれぇぇぇぇ!!!」
それだけ叫ぶと、急に跡部が土下座を始めた。オレとみるはそれを呆然と見つめていた。
恐らく……コイツは自らの絶対の権力を欲していた。
そのために黄泉の裔にその心の隙を突かれたのだろう……その、あの女とやらに。
これで全ての合点がいった。蛾龍、剣仁、そして朧という名の少年。
あの三人は跡部に動かされていた――――何故、その三人と接点があったのかどうかは謎だが。
さっきから跡部はわけの分からない言葉ばかり呟いている。
オレとみるはどうしていいのか分からなかった。相手は人間なのだから、殺すわけにもいかない。
とりあえずは日の宮に連れて行き、真柱さんの意見を仰ぐしかないだろう。
「だから私は――――!!!」
跡部が叫ぶ。
――――刹那、耳をつんざくような轟音が轟いた。
足元が揺れている。思わずバランスを崩して転びそうになった。
「なっ、爆発!?」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!どけぇぇぇぇぇ!!!!!」
突然跡部が立ち上がり、オレたちのほうへと向かってくる。
みるを突き飛ばし、扉を勢いよく開く。そして跡部は脱兎のごとく部屋を飛び出した。
「痛っ!!」
「みる、大丈夫か!?」
みるは尻もちをついていた。派手に転んでしまったらしく、立ち上がるのに手を貸す。
凄い勢いで走っていったな……なんて感心している場合じゃない。
「みる!!追うぞ!!」
「う、うん!!」
オレたちも後を追って急いで部屋を飛び出す。
電気のつけられていない廊下は、どこか冷たい印象がある。
その廊下に三人分の足音が反響する。あんな五十代のオヤジが相手なら、すぐに追いつける……はずだが。
だが、人間追いつめられると凄い力を発揮するものらしい。
「くっそ、あのオヤジ速すぎる!!」
「待ってよぉ〜〜〜!!!」
どれだけ走っても距離が縮まらない。みるがいるので全力では走れなかったが、あの年齢であの速度は反則だ。
図書館の扉を体当たりで開く。すでに跡部は図書館を出た後だった。
いつの間にか、日はすっかり暮れていた。
そろそろあっちのペースが落ちてきた。とはいっても、こっちも結構しんどかったりするのだが。
跡部が左へと曲がる。その場所には記憶があった。確か袋小路だ。昨日、みる達と別れた場所。
追いつめた――――と思った瞬間。
オレたちもそこへ入ろうと思った矢先の出来事だった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
跡部の叫び声が聞こえた。そして、何かを斬るような鋭い音。
「なんだ!?」
そして、オレたちが袋小路に入った時……それが、顔を出した。
「きゃぁぁぁぁ!!!」
みるが叫ぶ。オレたちの目の前に転がっていたのは……生首だった。
――――驚愕と恐怖。その二つが入り混じった表情で、跡部は絶命していた。
首を無くした肉体が音を立てて崩れ落ちる。そこには、一人の少女が立っていた。
「せっかく那智様にいいとこ見せようって思ったのに……ってうわぁ、樹生様って聞いてたよりイケメン!!」
どこか気だるい印象のある少女。
高校生、か?黄色に染められた髪に、ピアス。とてもだらしない制服の着方だ。
その両腕はポケットに突っ込まれ、胸のリボンは意図的に緩められている。
赤紫のような色をした制服が、この空間には不釣合いのような気がした。
「誰だよ?」
警戒心を隠しもせず尋ねる。すると少女は、腕を一度だけ払った。
「ちょっと待ってくださ〜い、証拠隠滅〜♪」
刹那、さっきまで転がっていた跡部の死体が跡形もなく消え去る。それは黄泉の裔が消えていく様に似ていた。
砂塵となり、風に流れされていく。
「ったくぅ、せっかくアイツを拉致ったら総理大臣になれるよぉ〜って言ってやったのに。この様子じゃ失敗しちゃったみたいだし……蛾龍に剣仁、朧のヤツ何やってんだか。あ、自己紹介が遅れましたね。私、因幡って言います〜。よろしくっ」
鬱陶しげにその黄色い髪の毛を払いながら、その少女は淡々と述べる。
罪悪感、というものが微塵にも感じられなかった。
「お前が、コイツを?」
「あったり〜♪まぁ、実際私たちの目的は……って、これは内緒♪というかホントにかっこい〜♪惚れちゃいそうです〜、いや、もう惚れた?なんちゃって」
少女はオレの顔をじろじろと眺めている。その視線が癪に障った。
「みる様〜〜〜!!!樹生〜〜〜!!!」
「みる様!!ご無事ですかっ!?」
後ろから和也と日向の声が聞こえて、オレとみるは振り返った。
「二人とも、無事だったんだね」
みるが心底安心したような表情で言う。オレもほっとため息をついた。
「あららら?もしかして、朧もやられちゃったのぉ?だっらしないなぁ〜〜〜」
その声を聞いて初めて、二人が少女の存在に気付く。
「こいつが黒幕?」
日向が刀を構えながら尋ねる。その瞳はただ真っ直ぐその黄泉の裔を見据えていた。
「いや、違う。黒幕は政治家の跡部だった……けど、そいつは今殺された」
オレのその言葉に、日向と和也の表情にはっきりと驚愕の色が浮かぶ。
黒幕の裏には、さらにまだ糸を引いてるヤツがいた。跡部が言っていた『あの女』とは、コイツのことだったのだ。
おそらくその狙いは、守の抹殺。そして隙あらばみるを捕らえようとしていたのだ。
「誰や、こいつ?」
「うっさいなぁ〜、おっさん!!今回失敗したのアンタのせいなんだからねっ!!!」
「因幡、って名前だそうだ」
おっさん、という言葉に和也の頬が引きつる。眉間にはシワが寄っていた。
「だ・れ・が、おっさんや!!!このまっ黄色のヒヨコがっ!!!因幡ぁ?物置みたいな名前しよって!!」
「なっ、誰がヒヨコよぉ!!!物置なんて言うなぁ!!!」
「おっさんだろうがヒヨコだろうが物置だろうがなんでもいい。黄泉の裔ならば……斬る」
日向がスッパリと言い放つ。その言葉に二人が口を噤んだ。
「や、ワイまだ若くてピッチピチのナイスガイやねんけど……」
その横で和也が拗ねる。しかし、その呟きは風に流れて消えていった。
「まだ初対面でしょぉ〜、怖いこと言わないっ。暴力反対!!」
「暴力?普段のお前達の行動は棚上げか?」
日向のその表情は変わらない。しかし、その静かな口調のうちに微かな怒りが込められている。
「いいじゃない。私は何もしてないんだしさぁ〜♪私は一応教えてあげただけだしね」
「教えただけ……だと?」
「それで神子守もボコろうかなぁ、なんて考えてたんだけど〜、失敗失敗。役立たずに任せたのが失敗だわ」
そう言って因幡がせせら笑う。どこまでも人を馬鹿にしたような口調だ。
「……お前、いい加減にしろ!!味方が死んでも何も思わないのか!!」
オレが叫ぶ。だが、その言葉を聞いた彼女は笑っただけだった。
「仲間?あんな弱いヤツなんか、仲間じゃないですよ〜。それにワラワラ沸いてくるゴミくずたちも、出来そこないだし」
「ふざけるな!!」
怒りに任せ、彼女の胸倉を掴もうと駆ける。
しかし、その腕を和也に掴まれた。
「待て、樹生……」
珍しく抑揚のない口調。しかし、静かな怒りがその言葉には込められている。
日向は刀を構えたまま動こうとしない。しかし、いつでも斬れる体勢だ。
和也もその気になればすぐに真言を唱えるだろう。三対一、向こうに勝目はない。
「お前らの目的はなんや?みる様が目的やったら今ここでワイらを叩こうとするはず」
不意に、和也が尋ねた。その言葉に因幡が顔を歪める。
「――――ッ」
聞かれたくないことを聞かれてしまった、そんな表情。
「………壊すんですよぉ」
ポツリ、と因幡が呟く。あまりにも聞き取りにくい、小さな声。
「この世の中、つまんないじゃないですかぁ〜?だからパーッと壊すんですよぉ。面白いですよぉ、きっと」
その表情は――――笑顔だった。
「なっ!?」
その言葉の意味を深く理解するよりも早く、オレは鳥肌が立つのを感じた。
壊す。この世の中にあるもの全てを、彼女は壊すと言っている。
人がどうなろうとどうでもいい、自己中心的な考え。ふつふつとオレの中に怒りが満ちあふれる。
「面白い……だと?なら、これまで貴様等に殺されてきた人は馬鹿で殺されて当然だったとでも言いたいのか!!人が死ぬことが……そんなに面白いのか!!!」
日向のその叫びに空気がびりびりと震える。彼女の怒りが伝わってくる。
その声は特別荒げられたわけではない。だが、これほどまで怒りに震える日向を初めて見た。
そして、圧倒されていた。
さすがの因幡も、笑うのを辞めていた。納得したわけではない、驚いたのだ。
何故そんなことを言うの?――――そんな表情だ。
しかし、そんな表情もすぐに消える。怒ったような表情になり、彼女も叫んだ。
「だから関係ないって言ってるでしょ〜〜!!!」
そこで一度言葉を切る。そして、畳み掛けるようにこう言った。
「どうせみんな死んじゃうんだしぃ!!!」
オレたちは言葉を失った。普通じゃない。彼女は……いや、奴等は普通じゃない。
「……そうか」
淡々とした日向の口調。しかし、その唇には恐ろしいほど冷酷な笑みが浮かぶ。
「なら……私がお前の命を軽んじても、文句は言えぬはずだ」
「げっ」
日向のあからさまな敵意を受け、因幡がたじろぐ。しまった、と言いたげなくらい、その唇が引きつる。
だが……
「まぁいいやぁ。やっぱり最後に笑うのは……私たちみたいですしねぇ〜♪」
ゆっくりとその視線はオレたちの後ろへと向けられる。
「きゃぁぁぁぁぁ!!!」
空気を切り裂くようなみるの悲鳴。オレたちは弾けるようにそっちへ振り返った。
「みる!?」
暗闇から何かが這い出してくるような感覚。闇、それが信じられないくらい相応しいほどの感覚。
嫌だった。間違っても、その感覚には触れたくなかった。
「みる様!!!」
凄まじい悪寒。これまでに体験したことのないような悪寒が、オレたちを凍らせる。
瞬時に鳥肌がたつのを感じた。
「みる様!?」
この凄まじい悪寒が、空気の色を変えていく。それはどこか冷たかった。
氷を素手で触れてしまったかのような……心臓を握るような痛みがオレを襲う。
そして、そこには――――



「お久しぶりです、樹生様」





To be continued 4th chapter...




あとがきという名の懺悔の場所。
まず一言。何オレは勝手に自分のSINの世界を作っているんだろう?(マテ
というわけで無事に(?)後編完結です。そして、物語は4章へ……
でもちゃんと繋がってない部分が2ヵ所ありますが……(楓さんが樹生の学生服着用中、樹生が八握ノ剣を持ったまま)どうしようもなかったので許してください(笑)
一応、今回の作品は考察みたいなの含んでいます。まぁ、神力のくだりとか。
使い方はメチャクチャなような気がしますが…愛嬌です(マタカヨ
というわけで最後に、製作者の皆様これからも頑張ってください。
また、明さん私が書くような二次創作のためにいろいろと助言していただき、ありがとうございました。
それでは、daikiでした。