オレは、彼女達にどこまで心を許せるのだろう?
今朝、母さんがちらつかせた真実。オレが「裏」の世界と何らかの関連があるという事実。
オレは悩んだ。だけど、答えは出なかった。
みるに保健室に連れて行かれた時、彼女にこの悩みを打ち明けようかと思った。
――――でも、言えなかった。
所詮、オレの中の彼女達に対する評価はそれほどのものだったのだろうか?
あるいは、「裏」の世界と言う過酷な空間で生きる彼女達から、遠ざかりたいと思ったのだろうか?
もう、これ以上……関わりたくないと思ったのだろうか?
それでもオレは、触れてしまった。
無関係じゃないということを、知ってしまった。
触れるべくして、触れてしまったのだ。
知るべくして、知ってしまったのだ。
これ以上、関わりたくない。関わるべきじゃないんだと思いたい。
だから、オレには………




「SIN」勝手にChapter 3,5
宴 非 人 者 達  
written by daiki




前編





オレには――――出来ない。
それがオレの出した決断、答えだ。冷たい男だと思われてもいい。逃げたと思われてもいい。
オレにはこれ以上、『裏の世界』へと踏み込むことは出来ない。
守になることは……出来ないんだ。
それでも、みるを守りたいという気持ちはある。
同情?哀れみ?……それはオレにも分からない。
見た目は普通の女の子と変わらないのに。
裏では日神子という守護の要としてこの国を守り続けている。
そんな重い鎖に縛られてしまっている彼女の負担を、少しでも楽に出来たら……と思う。
ただ、それを成し遂げるだけの力がオレにはない。
例えどれだけ強い神力をオレが持っていたとしても、それをオレ自身が自覚できていなければなんの意味も無いのだ。
たかが刀一本扱うことができたからといって、凄い神力を持っている、なんて言われても困る。
所詮、力の無いオレが何をしたって日向や和也の足を引っ張るだけだ。
そもそも、まだ出会ったばかりの少女のためにそこまでする必要はないじゃないか。
そう、まだ……出会ったばかりなんだよな……
それだけの関係の少女のために、ここまで悩む必要はないんだ。
――――でも…これで、いいんだろうか?
――――いや……これで、いいんだよ。
みる達とはあれから路地で別れ、オレは帰路へとついた。
すでに時刻は五時を十分ほど回ろうとしているが、なんとなくその足取りは重かった。
家に帰ってから、母さんと顔を合わすのが辛い。
いつものように話すことさえも出来なさそうで、なんだか怖かった。
オレには何か、オレの知らない秘密がある。
そう思うだけで自分自身が怖い。自分の力のことを知った今、「知らなかった」というレベルじゃ済まされないような気がするのだ。
ふと立ち止まると、あることに気付いた。
何か考え事をしていると時間が早く過ぎていく、というのは本当なんだろうか?
――――いつの間にか、家の前に立っていた。
家の明かりは点いている。母さんはすでに帰っているみたいだ。
台所からカレーの匂いがする。恐らく、夕飯の準備をしているのだろう。
西から夕陽がオレのことを照らしている。それが少し眩しい。
ドアノブに伸ばす手に少し躊躇う。握っては、離す。その繰り返しだった。
「……適当に時間潰すか……」
結局、行き着いた結論はそれだった。
少しぐらい遅くなったって何も言われないだろう……我ながら子供のような考えだ。
何かが怖ければそれから逃げ出す。それこそ、まさに子供の考え方ではないか。
再び思考の世界に入りながら、どこに行くわけでもなく適当に歩を進める。
やはり、考え事をしていると時間が早く過ぎるように感じた。
いつの間にか星が輝く空を見上げる同時に、ふと現実の世界に引き戻される。
よくよく考えてみれば、まだ引っ越してきてそんなに日は経っていない。
つまり、まだこのあたりの地理は把握できていなかった。
――――さぁ、オレはどうするべきなんだろうか?
「ここ、どこだよ……?」
家屋の密集していた住宅街から、いつの間にか賑やかな場所へと出ていた。
賑やか――――と一言で言ってみても、繁華街のような場所ではない。
ここは駅の近くだった。確かオレの家は駅から二十分の場所だったから……
ちょうどこの時刻の駅前は、会社帰りのサラリーマンで賑わっていた。
考えるだけでため息が出た。駅の広場の時計は六時の五分前を示している。何分歩いてたんだ、オレは。
帰ろうにも道が分からない。自分のバカさ加減に呆れてしまう。
それでも歩を進める足は止めない。適当にそのあたりをブラついてみることにした。
単純な興味……見知らぬ場所に辿りついた探検隊のような心境だ。
五分ほど歩いた後に、周りより少し異質な、それでいてかなり大きな建物があるのを見つけた。
「……図書館、か」
側にあった看板を見て呟く。それは一概に図書館と言ってはみるものの、その大きさはオレが生きてきた中で見たそれのどれとも比べ物にならなかった。とにかく大きい。
どれほどの蔵書量を誇るのか気になるところだが、あいにく本にはあまり興味が無い。
不意に、その建物から鐘の音が聞こえた。無機質な壁に備え付けられた時計が六時を示している。
恐らく閉刻を告げているのだろう。中から出てくる人の量が増えている。
そんな人の波をぼんやりと眺めながら、家に帰る方法を模索していた。
結局いい案が浮かぶわけでもなく、再度オレは大きなため息をついた。
「はぁ〜……どうしよう?」
途方に暮れているオレの傍ら、ベンツだかリムジンだかよく分からない高級車が通り過ぎていく。
それは、図書館の入口の前で止まった。
車の扉が開く。運転席から一人、眼鏡をかけた気の優しそうな、それでいて真面目そうな男が出てくる。
ここからはよく見えないが、その運転手は図書館の入口のほうを見つめていた。
きっと、どこぞのお嬢様だのお坊ちゃまだのを迎えに来たのだろう。
どうでもいいや、と思い図書館に背を向け歩き出そうする。
だが、その顔に少し引っ掛かりを覚え、振り返ってその顔を再び眺める。
――――どこかで見たことある顔だな……?
これまでの記憶を辿ってみる。あんな金持ち(多分)の運転手と顔見知りなわけが……
あった。
確か、日の宮までオレを連れて行った人だ。オレが助手席に座った時に運転席にいた。間違いない。
日高……という名前だったか。
――――日の宮?ということは、まさか……
「あれ……?樹生くん?」
いきなり名前を呼ばれ、ビクッとして後ろを振り返る。そこにいたのは、
「み、る?」
みるだった。
オレより少し下の位置に、その少女は立っていた。
肩までの髪に大きな瞳の小柄な少女。そしてオレの悩みの種である、大槻みるがそこに立っていた。
「どしたの、こんな所で?」
「え、ぁ、いやぁ……」
まさか『家に帰りたくなかったから』なんて間違っても言えず、オレは口をつぐんだ。
それよりも、今現在のこの状況に疑問が浮かぶ。
いや、みるがここにいた時点である程度答えが予測できたことだが……
「あれ、樹生やないかい。こんな所でどないしたんや?」
見事にみると同じ質問をぶつけてくる。声のした方向を見ると、予想通り和也が立っていた。
「まぁ、いろいろと」
どう考えてもこんな時間に、こんな所でみるが一人でいるわけがない。
それがオレの疑問の正体だった。
いや、どんな時間であっても、どんな場所であっても――――か。
「はは〜ん、まさか家出やないやろうな?」
和也の目が光る。当たらずも遠からず……と言ったところであろうか。
妙に的を得ているそのセリフに、オレは情けないが何も言い返せなかった。
「えっ!?樹生くん家出したの!?何かあったの!?」
それに過剰反応を示してきたのはみるだった。オレは何も言わなかったことを少し後悔した。
「違う違う!!ただこの辺りをブラついてただけだ!!」
「え……家出じゃないの?」
「ち・が・う」
「ビックリしたぁ〜」
心底安心したかのように胸をなでおろす彼女。そこまで心配されると、余計情けなくなる。
「そうやで、樹生。あんなに美人なお母様を泣かしたらアカンッ!!」
その傍ら、拳を握りながら熱く語っている和也。とりあえず、無視することにした。
さっき浮かんだもう一つの疑問をみるに投げかけてみる。無論、和也は眼中には入っていない。
「そういえば、日向はいないんだな」
もう一人、みるの側にいなければおかしい少女、日向楓の姿がそこにはなかった。
「え、あ……楓さんはちょっと日の宮で用事があるみたいなの」
「ふ〜ん……いろいろ忙しいんだな、守ってのも」
「う、うん」
「みる様まで……頼むから放置プレイはやめてぇな……」
寂しそうに反論する和也。だが、そんな表情も元々なかったかのように、すぐいつものひょうひょうとした表情に戻る。
「それよりも樹生。あんまり守とか日の宮とか外では言わんときや」
周りの様子を横目で伺いながら、真剣な顔で言う。その声はいつもの彼より幾分トーンが低かった。
「言ったやろ?黄泉の裔は人間と見た目は変わらんし、巧妙にこの世界に潜りこんどるんや。軽々しくその名前を出すのはやめとき」
「あ、わ、悪い」
そんな彼の表情を見て、オレは素直に謝った。彼の言うことももっともである。
それに、つい昨日あんな話を聞かされたばかりなのだ。まだ少し、現実味がない。
「話が過ぎたわ。そろそろ帰りましょ、みる様。日高さんも待ってるみたいやし」
車のほうを見ると、さっきと変わらぬ位置で運転手の男性がこっちを見ていた。
「あ、そうだね」
そんなやりとりを見て、オレはある事実と直面した。否、と言うより思い出した。
――――帰れないんだった。
帰りたくても家が分からない。というかこれまでにこんな情けない高校生がいただろうか?
どうする、どうする、どうすればいい?
頭を出来る限りのフルスピードで高速回転させる。あらゆるアイデアが浮かんでは消え、を繰り返す。
結局辿りついた結論は、目の前にいる人たちに頼ることだった。
昨日送ってもらったし、家も分かるはずだ。
しかし……家の場所を忘れたなんてこと、この二人にはあまり言いたくない。
大体返ってくるリアクションは予想できる。
『悪い、せっかくだし家まで送ってくれないか?』
『どうして?』
『いや、実は引っ越してきたばっかだからここ何処か分からなくなっちゃってさぁ……』
『おい、高校生にもなってそりゃないやろ!?恥ずかしいでちゅねぇ〜』
『樹生くん……ちょっとそれは恥ずかしいよぉ』
いつもの関西弁+αと、自分よりボケキャラ(であるはず。)からの屈辱のツッコミ。
……想像しただけで寒気がした。自分の想像力に呆れてしまう。
しかし、恥じている場合ではない。
「じゃ、また明日な。樹生」
「あ、ちょっ……」
「ちょっと待って、和也くん」
勇気を出して声を振り絞ったオレの横から、オレが言おうと思ったセリフが隣から聞こえてくる。
「……どないしました?みる様」
車のほうへと一歩踏み出した和也が、足を止めて声の主――みるのほうへと振り返る。
みるはと言えば、手を組んで下を向いている。その表情は分からない。
「せっかくだし……樹生くんも乗せてあげようよ」
「あぁ、それもそうやな。こっからやと家遠いやろうし。な、日高さんもいいやろ?」
「はい。みる様がそう仰られるのなら、私は構いませんが」
オレは手を伸ばしたまま硬直してしまった。
これだけ上手くいってしまうと、拍子抜けしてしまう。
「決定〜♪あ、でも……迷惑かな?」
上目遣いでオレのほうを見てくる彼女。無論、さっきまでそれを頼もうと思っていたオレが断るわけが無い。
――――むしろ、ありがたい。
「いや、お言葉に甘えさせてもらうよ」
助かった。みるの些細な優しさに感謝せずにはいられなかった。
日高さんは昨日オレのことを送り届けているし、家の位置もきっと覚えているはずだ。
「どしたの?樹生くん」
「いや、なんでもない」
内心安堵感に満ち溢れながらオレは和也に促され、みるに続いて後部座席へと座った。



窓の外を眺めながら、さっきから気になっていたことを隣にいたみるに尋ねてみる。
「それにしても……なんなんだあの図書館。デカすぎやしないか?」
「あ、樹生くんは見るの初めてなんだね。大きいでしょ?いろんな本置いてるんだよ。今日は宿題で調べなきゃいけないことができちゃって……エヘヘ」
舌を出して答えるみる。そうか、だから図書館なんかにいたのか。
「なんやよう知らんけど、どこぞの政治家とやらが寄付したらしいで。別にこない小さな街に寄付することもないと思うんやけどなぁ〜」
「だけどあんなに広いからこそ、見つかる本だってあるハズだよ」
オレと和也のあいだからひょっこりと顔を出すみる。確かに彼女が言うことにも一理あった。
「今日だって、こんな古い本あれぐらい広いところじゃないと見つからなかったよ?」
そう言いながら彼女がカバンを漁る。少し経ってから、古びた赤黒い本が出てきた。
見た目からしてかなり不気味だ。その表紙の色は乾いた血の色のようだった。
「『陰陽師』?」
「うん、歴史の宿題。陰陽師について調べなきゃいけないの」
そんな宿題の存在は初耳だ。おそらく、オレが越してくる前に出された宿題だろう。
「宿題……ねぇ」
ジト目で和也のほうを睨みつける。コイツにはそんなこと関係無いんだろうな、という視線を送る。
「な、なんや、そんな目で……」
「別に……」
軽くあしらってから視線を和也から窓の外へと移す。何やら和也は少し慌てているようだ。
「そういえば、和也くんは大丈夫なの?私が勉強してるあいだずっと寝てたけど」
「ギクゥッ」
ある意味当然だろうと思うオレがいた。無論、それが当たり前なんだろうが。
やはり予想どおりだった。勉学とは対極の位置にいるであろう和也が、宿題をするなんて考えにくい。
「まぁ、授業中よだれ垂らして熟睡してるヤツに宿題なんて言っても無理な話だよ」
「ギクギクゥッ」
「本だってあんまり読まないでしょ?ダメだよ、本は古人が残した宝なんだから」
エッヘンと胸を張って話すみる。おそらく、日向あたりから習ったことだろうな。
「本ならワイでも読むわい……」
「漫画だろ?」
「ちっがぁぁぁう!!!ちゃんとした活字印刷の本やッ!!」
「ふ〜ん」
「へぇ〜」
我ながら見事に息の合った連携ワザだと思う。オレとみるが揃って呟く。
「それにしても……よくこんな古い本見つけたな」
「うん。よく分からないけど、平安時代に書かれた物を現代語訳したんだって」
「へぇ……」
なんとなくパラパラとページをめくりながら、適当に目に入ったページを読んでみる。
図やら謎の単語やらがびっしり並んでいて、オレの理解の範疇を大きく上回っていた。
「……ん?」
適当にページをめくっていた最中、少し目に刺激を感じた。
太陽を直接見上げたかのような刺激。と言っても、ほんの些細なことではあったが。
「別に図書館でこんな本借りなくても……和也の家系は陰陽師じゃないのか?」
背表紙を掴んで周りを眺めながら、ふと思い出したことを聞いてみる。
その言葉を聞いて、二人が急に沈黙した。聞いてはいけないことだっただろうか?
「まぁ、いろいろあるんや」
珍しく真剣な和也の声に、オレはそれ以上尋ねることを躊躇った。
きっと、これ以上は聞いてはいけないことなんだろう。
「着きましたよ、樹生様」
不意に、運転席の日高さんが言う。窓の外を見ると、確かにそこはオレの家だった。
「ありがとうございます」
軽く頭を下げると、オレは車を降りようとノブへと手をかけた……が。
その手が空を切る。恐らくタクシーにあるような自動ドアみたいなものだったのだろう。
慣性の力で外に放り出されそうになる。なんとかそれを踏み留めた。
「だ、大丈夫?樹生くん」
「うっ」
どうやら見られていたらしい。照れ笑いを浮かべて振り返ると、彼女もそれを見てふっと微笑む。
恥ずかしかったが、その笑顔を見て何かすっきりしたような気がする。
「それじゃ、また明日な」
車の外からみるに向かって手を振る。だが、ここからでは車内の様子は分からなかった。
彼女を隠す為だろうか、その車はスモークガラスになっていて、中は見えないようになっている。
とりあえず手だけ振っておいた。
「バイバ〜イ♪」
中からくぐもった声でそれだけ聞こえた。
その声と同時に、車は豪快に排気ガスだけ撒き散らして去っていく。
車が通った後を、散っていた枯れ葉が舞い上がる。
その枯れ葉が地へと落ちる前に、オレは家のドアノブを開いた。
「……ただいま」
――――今度は、躊躇わなかった。



無駄に広い和室の一角。開け放たれたふすま、その外から流れてくる風が少し肌寒い。
それでも、微かに漂ってくる金木犀の香りは少し温かささえ感じることが出来る。
「それで、今日の彼の様子はいかがでした?楓さん」
私の目の前で、紫色の着物を華麗に着こなした女性――真柱様が微笑んでいる。
ふんわりと流れるかのような口調。けどその中にはそれなりの重さが込められているような気がした。
私は肩にかかった髪を後ろに流すと、ゆっくりと今日の状況報告を行う。
「どうやら、少し悩んでいたようです。どのような理由かは分かりませんが」
「どのような理由であれ、その理由のほとんどは守のことでしょう」
樹生が守についてどのように考えているかは私には分からない。
ただ、少なくとも私は彼が守になることは反対だ。
このような言い方をしたくは無いが、どこの馬の骨かも分からぬ力の持ち主にみる様を守らせるのは危険だ。
それでもこれは守の筆頭、真柱様の決定。私のような身分の者が口答えできる問題ではない。
――――そして、結局全ての判断を行うのはみる様なのだ。
「ええ、おそらく……それよりも真柱様、一つお尋ねしたいことがあるのですが」
「――――なんでしょう?」
「……本当に、彼は守になるのでしょうか?」
――――真柱様は、本当に彼を守にしてもよろしいのですか?
出しかけた言葉を引っ込めて、違う言葉にすりかえる。それは咄嗟の言動だった。
「……どうしてそのようなことをお聞きになるのでしょう?」
「守というのは、確かな神力の持ち主――樹生殿はそれを満たしてはいますが、それでいてある程度訓練を積み、みる様を守れる程度の実力でなければ……守の仕事をまっとうできるとは思えません」
少しの沈黙。真柱様は目を伏せ、何かを考えていらっしゃるようだ。
私達の間を秋の風が吹き抜ける。それは何処か寒くて、何処か冷たかった。
ひと時だけの風。少しだけ私の髪を撫ぜて、それはどこかへ去っていく。
そんな沈黙も束の間、再び真柱様が口を開いた。
「八握ノ剣(やつかのつるぎ)………楓さん。あなたは、彼がそれを扱えたことをどのようにお考えですか?」
ふんわりと柔らかな笑みを浮かべ、尋ねてこられた。ただ、その表情の裏にある何かは窺い知れない。
十種神宝(とくさのかんだら)の一つである八握ノ剣を彼が扱えた理由。それはすなわち、剣が彼を選んだから。
その他に理由なんて私に分かるはずが無い。樹生の力の秘密は、本人も含め、誰にも分からないのだから。
「彼の力による物だと私は思います。しかし、それは」
「十種神宝の一つであるあの剣が彼を選んだ。それだけで、私は十分だと思いますが」
私の言葉を待たずに、話を続ける真柱様。その瞳に微かな憂いが感じられたが、気のせいだろうか。
「それでも、日の宮の者達を総動員させて彼のことを調べました。でも、彼のことは何も分かりませんでした。そして折衝員でさえ彼のことを見つけることはできなかったんです」
「……何をおっしゃりたいのですか?」
「……怖いんです。樹生という存在がどこから生まれ、どこからその力が憑いたのか。もしかしたら……もしかしたら、その力が私たち……いや、みる様にとって災いになるかもしれないと思うと」
再び沈黙が訪れる。真柱様も虚を突かれたといった感じで黙ってしまわれた。
「確かに……楓さん、あなたの仰ることももっともです」
少しの間続いた沈黙は、真柱様の曖昧な肯定で破られた。
「なら……」
「それでも、みる様……日神子様が先代の日神子様のようになってしまわぬ様、より力を持った守も必要だということも事実です。先代の日神子様に仕えたあなたなら、分かっていただけるでしょう?」
「……ッ!」
思わず唇を噛んでしまう。先代の日神子様は、黄泉の裔に殺された。私の力では及ばなかった。
だからこそ……みる様は、みる様こそは守りきらなければならない。私自身の手で。
「もちろん、あなたも優秀な守です。あなたの神刀術、そしてその戦闘能力には目を見張るものがありますしね」
そう言って柔らかに微笑む真柱様。どこか、樹生のことは軽く流されたような感じがした。
――――湿気を含んだ空気が気持ち悪い。制服が肌にひっつくような、嫌な感じがする。
金木犀が咲き乱れる宮の庭。そこは、月の明かりで満ち溢れていた。
明るすぎず、暗すぎず……足元が少し見えるくらいの、微妙な明るさ。
そんな些細な明かりで、金木犀の花びらがきらきらと輝いている。
私がそんな風景を眺めていると、真柱様が再び口を開いた。
「折衝員からの報告なのですが……最近、この周辺の黄泉の裔達の動きがおかしいらしいのです」
「おかしい、とは……どのようにですか?」
「ただ災いを好み、ただ殺戮を好むあのモノ達が……皆同じ目的を持って行動しているらしいのです」
「目的、とは?」
「それは分かりません。ただ、黄泉の裔がみる様以外に同じ物を望むとは考えにくい……」
月明かりが、消える。
部屋の中からなので分からないが、雲が月を覆ったのだろうか。
人工的な灯りのないこの空間で、少しずつ光が失われようとしていた。
「つまり黄泉の裔を使い、何かを手に入れようとしている存在がいる、ということですか?」
無論、黄泉の裔にもこの前現れた「瀬梨」のように自らの意思を持ち行動する者もいる。
ただ、不思議なのは多数の黄泉の裔たちが同様の目的を持って行動している点。
奴等は特に決まった目的があって行動しているわけではない。
ただ目の前にある災いを大きくし、あるいは新たに災いを起こす。
単純に言ってしまえばそれだけの存在なのだ。
「ええ、おそらくそうゆうことでしょう」
「分かりました。今後、気をつけて行動します」
「みる様が学校へ通うのはあと二日のみですが、注意して行動する様心がけてください」
「はい」
「あと、和也さんにもお伝えくださいね」
再び月明かりが部屋を照らす。微かに伺える真柱様の表情は、いつもと変わらぬ柔らかな笑顔だった。
「ただいま戻りましたぁ〜♪」
突如、場違いとも思われるような陽気な声が聞こえてきた。
続けて日神子様、おかえりなさいませと言ったような声が続けて聞こえてくる。
どうやら、みる様が帰ってこられたようだ。……声が明るい。何かいいことでもあったのだろう。
そう思うと、私の頬も少し緩むのを感じた。




「準備は整ったのか?」
「ん〜、もう少しってとこかなぁ〜?まずはアイツ等から引き離さなきゃいけないしぃ〜」
「頼んだぞ。もう少し……もう少しで私の夢が叶う」
「今ぁ、ちょっと呪を込めたブツを持たせたからぁ〜、もうちょっと辛抱してねぇ」
「早急に頼むぞ」
「そんなに焦ってもいいことないけどねぇ〜、ははは」




始業のチャイムが校内に響き渡る。
チャイムが鳴り終わって数秒経たぬうちに前の扉が開かれる。担任の教師が入ってきた。
それを合図にして、それまで談話していた人たちがざわざわと自分の席に戻る。
特に話す相手のいなかったオレは自分の席に座りながら、窓の外に向いていた視線を教卓のほうへ移した。
何やら担任がいろいろと話してはいるが、それらは全てオレの耳から耳へ、外へと抜けていった。
特に何かをするわけではなく、机の上にあったシャープペンをクルクルと回す。
それに集中するだけで、胸にあった何か糸の絡まるような感覚も少し楽になるような気がした。
「あっ…」
勢い余ってシャープペンが床へと落ちる。カツンと乾いた音がした後、斜め前の席へと転がっていく。
座ったままでは手が届かないので立ち上がる。それを拾おうと思ったら、思わぬ場所からそれが差し出されていた。
「はい、コレ」
その手の先を見る。そこには、オレのシャープペンを持って微笑むみるの姿があった。
「あ、ありがとう」
正直、オレが悩まされる原因である彼女。
そんな笑みを見せられると、自分自身で決めたこの答えが揺るぎそうになる。
「……どうしたの?樹生くん」
いつの間にかぼんやりと彼女の顔を見つめていたらしい。恥ずかしくなって急いで自分の席に座る。
「なんや樹生。みる様の顔なんかじーっと見つめて……まさか、惚れたんか?」
「違うわいっ!!」
思わず大声で否定しまう。その声に合わせて静まり返る教室内。
少し経ってから、教室内にクスクスと言った笑い声や、ヒソヒソ話す声も聞こえてくる。
「甲斐くんがあんなに大きな声で『違うわいっ』って……意外だよね」
そんな声が聞こえた。オレはこのクラスの人に、どのようにキャラ設定をされているのだろうか?
「コラ樹生。今度は『イケメン意外な素顔にビックリ、イヤン♪モテモテだ〜いさ〜くせ〜ん』とか言うんとちゃうやろうな?」
「なんだよ、それ」
今度は間違っても声を張り上げたりしない。聞きなれないフレーズが二、三個聞こえてきたがあえて無視する。
「むっ、ノリ悪いヤツやなぁ……そこはノリツッコミが基本やで?」
「オレはお前と違って関西人じゃない。よって、そのルールに合わす必要なし」
「……相変わらずキツイ言い方するヤツやのぉ……」
オレの言葉を聞いた和也は、ジト目でオレのことを睨みつけていた。
「はぁ…なんでこんなヤツが楓さんから……」
そんな和也の様子に違和感を覚える。だからオレは尋ねた。
「ん?日向がどうかしたのか?」
「このメモ、渡してほしいって頼まれたんや」
そう言ってポケットから一枚の紙切れを差し出す。それは一枚のメモ用紙を丁重に三重に折りたたまれたものだった。
そのキレイに折りたたまれた紙切れから、彼女の几帳面さがうかがえる。
「……まさかとは思うけど、告白、とかちゃうやろぉなぁ〜〜」
紙を広げるオレの傍ら、和也の瞳には薄っすらと涙まで溢れていた。
「アイツに限ってそれはないだろ」
その紙に書かれた文字を一瞥し、視線を日向の席へと移す。
ふと、彼女と目が合った。
慌てて紙に視線を戻す。そこには、こう書かれていた。
『放課後、屋上で待つ』
ただ、それだけが彼女らしい丁寧な字で書かれていた。
それだけでは彼女の真意は伺えない。まさか告白はないにしても、きっとみるの元を少し離れてでも話さなければならない大事なことがあるのだろう。……特に思い当たる節はないが。
丁度いいタイミングで、朝のHR終了のチャイムの音が響き渡る。
その音に合わせて、担任――実はまだ名前を覚えていない――が扉を開けて外へ出て行く。
扉が閉められると、急に堰を切ったように教室内が騒がしくなった。
「何々?二人で何話してたの?」
さっきまで担任の話をおとなしく聞いていたみるも、そんなクラスメイトたちに合わせるようにオレ達の元へやって来た。
「いや、ひゅう……ムガッ」
手紙に書かれていたことを言おうと思った矢先、和也に口を塞がれる。
「いやぁ、みる様は可愛いなぁ〜って話をしてたんですわ♪」
「え、可愛い?樹生くんが?もぅ、照れちゃうなぁ〜♪」
顔に手を当て、恥ずかしがるみる。オレはと言うと和也の拘束を解く為に必死だった。
「照れるなって♪」
「ムガムガムゴムガァァァァ!!!!!」
――――うッ、空気がッ……
ヤバイと直感的に感じたオレは和也の鳩尾にヒジ撃ちを決めてやった。ウッと短いうめき声が聞こえた後、和也が崩れ落ちる。
「ふぅ……」
ようやく新鮮な空気を肺にいれることが出来た。和也は腹を押さえてうずくまっている。
オレの額には冷や汗が浮かんでいた。
「だ、大丈夫?和也くん……?」
「や、るな……樹生………」
「フン」
みるに手紙のことを言う気も失せてしまった。あれだけ力いっぱいオレの口を押さえて手紙のことを隠そうとするのだから、日向から口止めされていたのだろう。
肝心の日向はと言えば、さっきからこっちを睨みつけていた。……いや、倒れている和也を睨んでいた。
一時間目の始業のチャイムの音が響き渡る。それに合わせて古典の教師が教室へと入ってきた。
波が引いていくかのように再び教室には静寂が戻る。和也も、なんとか自分の席に着いていた。
「うぅ……傷を治すために昼寝やぁ……」
そんなふうに呟く声が聞こえる。まだ昼寝という時間ではない。まだ朝である。昼寝というより二度寝だ。
「Zzzz……」
早くも寝息が聞こえてくる。まだ教師は出席を取っていた。
朝比奈和也の名前が呼ばれてから、約五秒後の早業だった。



その後もいつもと……いや、昨日と変わらぬ一日だった。
昼休み、再び昼食に誘われたオレは彼女達と食堂で食事を摂る。今日は外という意見は却下された。
昼休みが終わった後も、特に変わったことはなかった。
そう、放課後になるまでは――――



終礼が終わり、部活に行く者、そのまま帰る者、友達と喋る者など……それぞれの行動に移る。
本当ならば、部活に所属していないオレもこのまま家へ直行なのだが、そうはいかない。
オレは手紙に書かれていた通り、屋上へ向かった。
屋上への扉は、基本的に開放されているらしい。錆びついたその扉を見、オレはひとつため息をつく。
ゆっくりとノブを捻り、そしてゆっくりと扉を開く。最初に目に付いたのは、沈みかけた陽の光だった。
屋上の隅のほうに目を向けると、そこには凛とした姿で日向が立っていた。
「遅かったな」
開口一番、厳しい言葉が飛んで来る。
「仕方ないだろ。どの階段を昇れば屋上に行けるのか、思い出すのに時間かかったんだ」
ゆっくりと歩を進め、オレは屋上の縁に備え付けられた手すりにもたれかかる。
二メートルぐらい離れた場所に、彼女は立っていた。
その表情は恐ろしいほど無表情だった。感情を持たない、人形のような冷たい表情。
「で、用件は?さっさと済まそうじゃないか、みるのことも守らなきゃいけないだろうし」
「今、みる様は和也と一緒に図書室にいる。あれでも立派な守だから、大丈夫だろう」
「そっか」
表情一つ変えずに、淡々と述べる日向。その様子は、意思のない機械のようで少し不気味だった。
いつもの冷静沈着な彼女の様子とは少し違う。
どこか少し、オレに対して嫌悪感を示しているかのような……そんな感じだった。
「単刀直入に言わせてもらおう。樹生……お前は、守にはなるな」
真っ直ぐ、彼女の瞳はオレを瞳を見つめていた。
グラウンドではサッカー部がランニングをしていた。イッチ、ニ!と陽気な掛け声が聞こえてくる。
そこの空気と、同じだけれど違う空気がこの空間には流れていた。
「……本当に単刀直入だな」
「樹生がそうしろと言ったのではないか」
オレは迷っていた。その質問に、どのように答えようかと。
はっきり「ならない」と言ってもいい。あるいはこのまま沈黙を守り通すのも悪くない。
再び視線をグラウンドに向ける。今度は野球部のノックが目に入った。
土に汚れた白球を追っている坊主頭の野球部員達。それは、ある意味「答え」を追い求めるオレと同じ姿だった。
「さぁ、どうなんだろうな……」
結局口から出たのはそれだった。そんなことを言う気はなかったのに。
「どうなんだろうかと言うことは……まだ決まっていないのか?」
「さぁ……オレにも、よく分からない」
頭で考えている言葉とはまったく違う言葉が口から出てくる。
ただ無言の圧力をかけてくる彼女の前に、オレの思考は完全に麻痺していた。
もしかして、これがオレの真意なのだろうか?頭で考えている言葉は、ただの建前でしかないのだろうか?
様々な考えが浮かんでは消える。そんな自分がもどかしくて腹が立った。
「つまり、まだ何も考えていないというわけか?」
「考えてないわけじゃないさ……考えてるよ、そりゃ」
風が吹いた。オレのため息が風に流されていく。
ただ、空だけが青い。
「……何を悩んでいる?」
「……」
いきなり核心をつかれ、少し心臓がはねるのを感じた。
悩んでいるつもりはない。悩みは悩みでなくなり、それがオレの通常の思考の中に巧妙に紛れ込んでいる。
いつもどおりの状態でいるだけでも、ふとそのことを考えてしまうのだ。
言ってしまおうか?言ってしまえば、楽になるかもしれない。
彼女なら、なんらかの答えを用意してくれるかもしれない。そんな淡い期待があった。
「実は、さ」
オレは、日向にオレが思っていたこと、そしてオレが悩んでいたことの全てを話した。
裏の世界には、あまり関わりたくないということ。
守にはなりたくない、と思っていたこと。
けど、それはオレが思っている「真意」ではないんじゃないか……ということ。
そして――――
「母さん、知ってたんだよ。黄泉の裔と、日神子のこと」
「それは、どうゆう……」
「分からない。怖いんだ。自分自身のことなのに自分が知らないことがあるってことが」
そこまで一気にまくし立てて、オレはゆっくり息を吐いた。
いつの間にか、空には薄っすらと雲がかかっている。
ただ青かっただけの空に、雲という白が混ざっていく。
再びグラウンドへと目を向けた。サッカー部はミニゲームをしていた。
「自分のことなんてのは、自分が一番分からない」
「え?」
「真意じゃないのかどうか……というのもそうだ。自分で考えていることは、自分が一番分かっていると皆思っているはずだ。実際はそうじゃない。ただ、その現実から逃げているだけだ。自分と向かい合うのを恐れ、自分自身を分かりきったフリをする。樹生、お前もそうじゃないのか?」
「何……?」
「自分と向かい合うことを恐れているんじゃないか?ということだ。自分自身で気付きたくなかったことに気付いてしまったとき……人はそれを心の奥隅へと追いやろうとする。樹生、お前がやっているのはそうゆうことだ」
視線をグラウンドから日向へと移した。彼女の目は、真剣だった。
真剣という以外にどのように言葉で表せばよいのだろうか?それさえオレは思いつかない。
「つまり……自分に、正直になれ、ってことか?」
「そうゆうことだ。……だがそれでどんな答えが出たとしても、昨日言ったとおり私は樹生が守になることは反対だ。だが……きっとみる様はお前に守になってほしいと思っているだろう。それでも――――こんな言い方はしたくないが、得体の知れない人物を守にすることは……正直言って怖い」
「オレが……怖い?」
日向の口から出た想像もしてなかった言葉に、空いた口が塞がらなくなる。
彼女がオレの力の理由を恐れる理由。それはなんだというのだろうか?
だが、あえてそれは聞かなかった。その答えは、無意識のうちに分かっていたから。
「みる様にとって、もしかしたら負の存在になるかもしれない……と思うと、な」
「……なるほどね」
それは、初めて彼女がオレに見せた本心だったのかもしれない。
再び訪れる沈黙。風が、オレたちのあいだを吹き抜けていく。
枯れ葉を一枚、運びながら。
お互い言いたいことは全て言い切ったと思う。これ以上、ここにいる必要はないと思った矢先。
さっきまでのグラウンドと、様子が違うことに気付いた。
「誰もいない……?」
そう、誰もいないのだ。
白球を追い続けていた野球部員も、ゴールへ向かって力いっぱいシュートするサッカー部員もいない。
それどころか、他の部活の部員さえいないのだ。
そう、そこには誰もいなかったのだ。
「どうした?樹生」
「いや、さっきまで運動場にいた人が全員いなくなってるんだよ。全員、だ。まだ部活終わる時間じゃないよな?」
まだ日は落ちようとしていたところだが、時刻もそんなに遅いわけではない。
「……まさか」
黙ってグラウンドを見ていた日向が急に声を上げる。
その空間の変化に気付いていたのは、彼女だけではなかった。
「この感じ……」
どこか、この場所だけ外と切り離されたような感覚。
この世に立っているような感じがしない。まるで、あの世とこの世の境に立っているかのような不気味な感覚。
オレたちの周辺の空気が、重い。
この感じは、オレも知っている。この空気の中に立つのは二度目だ。
――――みると、初めて会ったとき。
「黄泉の裔……」
日向はそれだけ呟くと、素早く身を翻し屋上の扉から出て行く。
オレは少し悩んだが、ここにいたってどうすることもできないので彼女の後を追いかけることにした。



――――速い。
これが、高校に通う女子のスピードと言えるのだろうか。
陸上部の女子……いや、男子であっても勝てないほどのスピード。
オレも全速力で走っているつもりなのに、彼女に付いていくだけで精一杯だった。
それどころか、少しずつ距離が離れていく。
置いていかれないように、できる限りオレも速度をあげた。
確かみる達は図書室にいるはずだ。和也がついているので特に心配はないとは思うが、一つ気にかかることがある。
――――やはり、誰もいない。
さっきから出しうる限りの最高速度で走っているが、誰ともすれ違った記憶が無い。
そう、誰もいなかったのだ。
走りつづける彼女の後姿からは何も分からない。ただ、心配の色だけが濃くなっていくかのように思えた。
肩に何かぶつかったような気がしたが、気にしない。誰かがそこにいたわけではなかった。
ただ、彼女を追いかけることだけで精一杯だ。他の事を考えている暇はない。
一分もかからないうちに、一階の隅にある図書室の前に着いていた。
膝に手をついて呼吸を整える。そんなオレとは対照的に、彼女は息一つ乱してはいなかった。
「みる様!!いらっしゃいますか!?」
「みる!!何処だ!?」
図書室の扉を開くとすぐにみるの名を叫ぶ。
そんな不可解な侵入者に、普通に勉強していた人たちから冷たい視線が、
――――浴びせられる、ハズなのに。
図書室には誰もいなかった。否、図書室にも、誰もいなかった。
「和也は何をやってる!?」
部屋の内部を一通り見回してみる。すると、隅のほうでもぞもぞと動く影があった。
「誰だ!?」
その影に向かって声を張り上げる。
その声に反応し、影がオレのほうを向く。
「――――樹生?」
「和也!?」
その影の主は和也だった。だが、一緒にいるはずのみるの姿はない。
「何をしている、和也!?」
「何をしてるって……勉強ですやん」
和也は何がなんだか分からない、といったような顔をしている。
「みるは!?みるはどこに……」
「どこにって……トイレや。さっき出て行ったところやけど……どしたんや?そんな切羽詰まって」
「どうしたって……」
言い返そうとして気付く。いつの間にか、さっきまで確かにあった黄泉の裔の気配が消滅している。
まるで、元々存在しなかったかのように。
――――なら……さっきまでの気配は何だったんだ?
「とにかく、まだ安心できるわけじゃない。探すぞ」
日向もオレと同じくわけが分からないといったような表情をしていたが、素早く次の行動を示す。
オレは頷くと、日向の後を付いて図書室の外に出た。
「和也はそこで待ってろ!!みる様が帰ってくるかもしれない」
「わ、分かった。みる様のことは頼んだで」
後ろで和也が頷く。そしてオレ達は再び走り出した。
窓から夕陽が照らし、廊下を紅く染めている。
それは、そこで微笑む影を……血の色に染めていた。



人影のない教室。斜陽の光が教室を照らしている。
そこに集う二つの影。そう、人影はない。人に非ざる者達の影。
人はそれを、黄泉の裔と呼ぶ。
その名を知る者は少ない。否、その存在を知るもの自体が少ない。
「ヤツは……?」
そのうちの一つが、聞き取りづらい掠れた声を出した。
「すでにオレたちの手に落ちた。あとはアイツらを例の場所で殺るだけだ」
だらしなく机に腰掛けた影がそれに答える。その口元には、笑みが浮かんでいた。
「ならちゃっちゃと殺ろうぜぇ〜……こっちは気が立ってんだ」
蛇のような視線で机に座る影をねめつける。その眼は、獲物を狙う者のそれだった。
そんな気のたった影を見、机に座る影は肩をすくめる。
「好きにしな」



一番近くにあるトイレに、みるの姿はなかった。
そもそも時間的にトイレの時間がそこまで長いとは考えにくい。
三階の廊下を駆け抜けながら、オレはそんなことを思う。
ならば、考えられる可能性は二つ。
違う場所に移動したのか――――最悪の場合、すでにさらわれてしまったのか。
そんな考えを振り払うようにオレは首を振った。
日向とはさっきから言葉を交わしていない。何度か視線が合ったが、それだけだ。
階段下に辿り付き、ふと彼女が立ち止まる。その視線は上へと向いていた。
「どした?日向……」
オレはそのわけを尋ねた。だがその原因に気付き、すぐにオレも彼女と同じ方向を向いた。
感覚。それだけが、全てを告げている。
「どうゆうことだ……?あそこはさっきまで……」
日向がポツリと呟く。しかし、すでにこの感覚は確かなものとなっていた。
間違いない。この悪寒、この空気。消えてしまったハズのこの感覚。
それは再び、ちりちりとした風となってオレの肌を撫ぜる。
「黄泉の……裔?」
それを確認したオレたちは、勢いよく二段飛ばしで階段を昇っていく。
屋上への扉を勢いよく開く。そこに、二人の男が立っていた。
男達の後ろに手足を縛られ横たわる少女が一人。――――みるだ。
「楓さん!!樹生くん!!ゴメンナサイ……」
オレ達の姿を見たみるが声をあげる。男達は、不敵に微笑んでいた。
「みる様!!」
日向が悲鳴にも似た声をあげる。その表情には怒りと後悔が織り交じっていた。
「お前ら……何者だよ?」
警戒心を隠しもせず尋ねる。いつ襲われても対処できるように、重心を低くする。
それは本能的な行動だった。
「テメェらに答えてやる義理はねぇよ……テメェらはここで死ぬんだからな」
掠れ声の男がニタリと笑う。野獣のような猫背の巨体から、殺気がビリビリと伝わってくる。
その隣で、中世的な顔立ちをした痩身の男がヒュウと口笛を吹いた。
「ぉ〜、事前に聞いてたとおりなかなかの美人じゃねぇか♪おい、女はオレが殺る。男はお前が殺れ」
「けっ、オレは女に興味は無い」
「おいおい、一方的に決めるなよ……」
そう言って苦笑いを浮かべる。だが、こちらにとって分が悪いのは明らかだった。
みるが人質に取られている上に、オレがまともに戦えるとは思えない。実質こっちが戦えるのは日向だけ。
相手は人ではない存在。ただの人であるオレが戦って、勝てる相手なのだろうか?
「樹生」
「え?」
日向がオレを呼んだ。その額には汗が浮かんでいる。
彼女の拳は、堅く握られていた。その汗から彼女の緊張感がオレにも伝わってきた。
「みる様が、八握ノ剣を持っている。お前はそれで戦え」
「でも、みるは……」
明らかに動揺した様子のオレには目もくれず、彼女はみるの方へ目配せした。
「私が二人を引きつける。その隙にみる様を解放しろ。奴等はお前が相手したゴロツキのような連中とは違う」
ゴロツキとは……みると出会ったときのことを言っているのだろうか。
あの時の連中でもかなりの苦戦を強いられたというのに、あの男達はそれ以上に強いのだという。
その言葉はオレの不安を煽るような結果になった。掌に汗が滲む。
「大丈夫、お前ならやれる。気を付けなよ」
日向が唇の端だけを吊り上げて微笑む。
迷っていても始まらない。この場で戦えるのは、彼女とオレしかいないのだ。
「おい、何コソコソ話してるんだぁ?虫ケラはさっさと殺られればいいんだよぉ」
「女ぁ、そんなに緊張しなくていいぜぇ?オレが優しく美しく殺してやるからよ」
その言葉と同時に、二つの影が大地を蹴る。
野獣のような男は素手、痩身の男は片手にナイフを構えている。
そのスピードは人のそれではなかった。防御しようとするが、間に合わない。
その時、刀身と刀身のぶつかり合う美しい金属音が夕刻の屋上に響き渡った。
オレの目の前には、日向の背があった。同時に二つの方向から放たれた攻撃を、刀一本で受け止めている。
「今だ、樹生……早く!!」
その言葉と同時にオレは駆け出した。急いでみるの元へと向かう。
「貴様の相手はオレだぁ!!」
掠れ声の野獣が日向の刃から離れ、オレへと拳を向ける。
それをギリギリで横に跳んでかわすと、オレはみるを抱え屋上の隅へ走った。
さっきまでオレが立っていた地面が爆ぜる。激しい衝突音の後に、白い煙が舞う。
男の拳が硬いコンクリートの地面へと突き刺さっていた。信じられない破壊力である。
白い煙の正体は、彼が粉砕したコンクリートの粉塵だった。
その手を抜くのに手間取っているらしい。その間にオレは急いでみるの縄を解く。
「樹生くん……ゴメンね……本当にゴメンね……私のせいで……」
その大きな瞳に涙を浮かべながら、何度も謝ってくるみる。
「謝るのは後だ。まずは武器を貸してくれないか?」
そんなみるを慰めるように、オレは彼女の頭に手を乗せた。
平静を装ってはいるが、内心かなり怖れていた。人に非ざる者たちの力をまざまざと見せ付けられたのだ。
だが、みるの前ではそんな姿は見せられない。オレは、彼女を守らなければならないのだ。
「う、うん!!これ……」
そう言って彼女が刀を差し出す。それを受け取った途端、ドクンと心臓が高鳴った。
やれる――――本能が、そう告げている。
「おいコラ、蛾龍(がりゅう)……やすやす女ぁ解放してんじゃねぇよ。後でいたぶってやろうと思ったのに」
ナイフで日向の刀と交わりあいながら、痩身の男が彼の名前を皮肉げに呼ぶ。
「五月蝿い、剣仁(けんじん)。女なんてコイツら殺してもう一回捕まえればいい話だろ」
地面に突き刺さった腕を力ずくで引き抜きながら、蛾龍と呼ばれた男は答えた。
拳を鳴らしながら、ゆっくりとオレ達の元へと近寄ってくる。
「みる、下がってろ」
「で、でも……!!」
みるがオレの制服の裾を掴んでいる。その手から、彼女の動揺を感じることが出来た。
――――やるしかない。
刹那、蛾龍の右の拳がオレの顔面に襲いかかる。みるの手を引きながら、それをかわす。
「チィッ、ちょこまか動きやがって!!」
蛾龍が叫ぶ。だが、その叫び声は掠れているから聞こえづらい。
だが、少しずつオレにも余裕が出来始めていた。彼の動き、そして声を冷静に観察できるほどに。
不思議なくらい剣はオレの手に馴染んでいる。剣術なんて使えないが、今ならやれる気がした。
「うらぁ!!」
力任せに蛾龍が右腕を突き出す。オレは刀身でそれを受け止めた。
刀と拳が激しくぶつかりあう。蛾龍の指にはめられた指輪から、火花が散った。
あのコンクリートを突き破るほどの力を防いでいる。この刀の力に驚くと同時に、感心していた。
それでも、体格差によるパワーの違いは変えられない事実だ。彼の力に押され、足が後ろへ滑っていく。
「もう一発ッ!!」
空いた左手で蛾龍が腹にフックを叩き込む。それをもろに受けてしまった。
「――――ッ!!」
肺から空気が漏れる。言葉に言い表せないほどの衝撃が体を襲った。
「樹生くん!!」
みるの叫びが木霊する。吹き飛びそうになる意識をなんとか持ちこたえ、再度構えなおす。
「ひゃっはぁ!!あれぐらいで倒れてもらっちゃ面白くねぇぜ!!これから絶望の始まりなんだからよぉ!!」
蛾龍が笑う。今にも崩れそうな足に、できる限りの力を込めた。
「あんなパンチ……痛くない」
唇に笑みを浮かべ、強がりを言ってみる。その言葉に彼の頬がピクリと動いた。
「ほぅ……なら、これで逝きやがれ……」
両手を後ろに回し、蛾龍が構えをとる。何か尋常じゃないものが、来る。
その予感が、オレの体を動かしていた。
「食らって死にくされ……うらぁ!!」
後ろに構えた蛾龍の両拳が、オレの眼前に迫りくる。その正体は、両手から繰り出される突きだった。
よけるほどの力は残ってはいない……なら。
「もう一回受け止めてやる!!」
八握ノ剣を思い切り振りかぶり、その両拳へと向ける。
耳をつんざくほどの衝撃音が響き渡る。木の葉が乱れ、舞い、コンクリートの粉塵が渦を巻く。
「これを受け止めたのはテメェが初めてだ……だがなぁ、死ねや!!」
二つの拳にさらに力が入る。オレは全身に残された全ての力を刀に込めた。
しかし、相手を押し返すことはできない。やはりその圧倒的なパワーの違いが絶望的だった。
――――ここまでか……?
そんなことが脳裏をよぎる。後ろには、屋上の縁が迫ってきている……このままでは、落とされる。
オレには、日向のような剣術もない。和也のような力もない。
所詮、刀に認められただけの一般人のオレはここまでなのか?
「樹生くん――――!!」
みるの叫び声が聞こえる。
――――そうだ、オレは今彼女を守らなければならない。
そのとき、ふいにオレは理解した。
答えを。オレが、ついさっきまで思い悩んでいた答えを。
日神子だの、守だの、黄泉の裔なんてことは関係無い。
オレは、彼女を、想いを守りたいんだ。彼女達と接することで芽生えた「想い」を。
それがなんなのかよく分からない。ただ、分かるのはそれが「守る」のに十分な理由になり得ること。
考えてみれば、簡単なことだったんだ。
だからオレは……守りたい。
真柱さんはオレに言った。オレには――――力があると。
なら、その力を少しでも使えることが出来たならば……
昨日襲われた時みたいに、あの力を使うことができたなら――――!!
「うぉぉぉぉぉぉ!!!!!」

心の奥深くに眠っている力を、強制的に解放する。自分でも無意識のうちの行動だった。
「!?」
蛾龍の顔色が変わる。何が起こったのか分からない、といったような表情。
感情に身を任せた力の流れが、拳と交わりあう刀と共鳴する。
「うらぁ!!」
拳と交わりあった刀を無理矢理押し返す。自分でも信じられないほどの力が、蛾龍の拳を切り落とした。
その主を無くした両拳は、砂となって風の中に流れていく。
行き場をなくした蛾龍の圧倒的な力が、巨体が、慣性の法則に従い刀を引いたオレの横を通り過ぎていく。
そこに広がるのは、絶望だった。
否、あるいは希望なのかもしれない。この世に縛られた魂が、解放されし時。
蛾龍の巨体が屋上の縁を破壊し、宙へと舞う。一瞬の無重力状態に包まれた彼の体は、あまりにも自由だった。
あまりにも、自由すぎた。
「な、んだと……?オレが、負ける……?」
再度、オレは刀を振りかぶった。宙に描かれる剣の軌跡。その軌跡の真ん中に、彼の体があった。
「うぁぁああぁあぁぁぁあぁぁ!!!!!!!!!」
そこには、死者の灰だけが残った。
風に流され、拳だった物と同じくそれは宙を舞っていく。
その灰は、夕暮れの陽の中へ消えていった。
オレは、勝ったのだ。



「女はおとなしく殺られたらいいんだよ……」
異様なほどに顔を近づけ、舐めるような声で男が呟く。
男の手に握られたサバイバルナイフ。それが私の刀と交わる。時々小さく金属の擦れる音がする。
私は刀を動かすことができない。この男、痩身のくせしてなかなか力がある。
「おいコラ、蛾龍……やすやす女ぁ解放してんじゃねぇよ。後でいたぶってやろうと思ったのに」
ナイフを持つ手には力を込めながらも、男の視線は樹生たちの方向へ向いていた。
横目でみる様と樹生の方向を見る。樹生は、みる様の解放に成功したらしい。
まずは一安心、と言ったところであろうか。
だが、まだ完全に安心できるわけではない。樹生はまだ完全に自分の力をコントロールできないのだ。
早くこの男を倒し、樹生とみる様を助けなければならない。
――――それまで、持ちこたえてくれ……樹生。
焦りから剣を押す手にも力が入る。それでも、彼のナイフはピクリとも動かない。
「五月蝿い、剣仁(けんじん)。女なんてコイツら殺してもう一回捕まえればいい話だろ」
蛾龍と呼ばれた男が返事をする。どうやら、この男の名前は剣仁と言うらしい。
身なりは軽い今どきの若者という印象があるが、油断は出来ない。現に、私は剣を封じられている。
「ま、女、そろそろ本気で勝負しようじゃぁないか」
不意に、剣仁がナイフを引いた。力を込めていた私の剣が、危うく空を斬る。
気付くと剣仁は、私から五歩ほど離れた位置に立っていた。
――――速い。
こいつは……おそらくスピードに自信があるのだろう。
「お前と戦っている時間などない。悪いが、みる様と樹生を助けさせてもらう」
刀を再び構える。その言葉を聞いた彼の二つの双眸は、ギラギラと黒く輝いていた。
「そうはさせねぇよ。ゆっくりと切り刻んでやるから、覚悟しな……」
そう言うと同時に、彼の姿が私の視界から消滅する。
「なっ……!?」
殺気を感じ、咄嗟に振り返り相手の攻撃を防ぐ。キン、と金属同士が激突する音が響く。
剣仁が、そんな私の反応に感心したのか口笛を吹いた。
「おとなしく斬られな。その綺麗な顔、ズタズタにしてやるぜ」
再び彼の姿が消滅する。頼りになるのは気配……私の、感覚のみ。
この男、スピードは想像以上だ。いつ、どこからナイフが襲ってくるのか分からない。
「顔、首、胸、腕、足……どこがいい?そそるぜ、お前みたいないい女を殺れると思うとよぉ」
その言葉に生理的な悪寒を感じる。この男、精神的にかなり危険だ。
刹那、気配が――――消えた。
彼も気配で攻撃する位置を勘付かれることを懸念しているらしい。
「これまでもこうやって殺してきたんだぜぇ……?どの女も思い切り泣き叫んでた……『助けて』ってなぁ」
額に汗が浮かんでいるのを感じる。どこから敵が襲ってくるのか分からない焦り。
私は刀を構えたまま、その場から身動きすることができなかった。
「痛ッ!」
突如、右足に鋭い痛みが襲った。切られた傷から鮮血が流れ出している。
このままだとまずい、と直感する。どうやら彼は本当に私をなぶり殺しにするつもりらしい。
私を切り刻み、それから殺す気なのだ。
だが、その甘さが彼の弱点だ。彼のその素早さがあれば、急所に一撃でナイフを刺せるはずだ。
チャンスは一瞬。彼が勝利を確信し、私を仕留めようとするその瞬間。
左足、背中、右腕、左腕。次々と襲い来るナイフが、私の皮膚を少しずつ切り刻んでいく。
「くっ……」
制服が切り刻まれていく。その様は、自分でもかなり情けない姿だと思う。
「――――ッ!!」
突如、激しい激突音と共に樹生の呻き声が聞こえた。
樹生の腹に、蛾龍の強烈な右フックが叩き込まれていた。
その光景が私をさらに焦らせる。急いで剣仁を倒し、樹生の救援に向かわなければならない。
しかし、今はまだその時ではない。必ず……必ず、その時が訪れるはずだ。
「泣け!!叫べ!!ひざまずけ!!!」
剣仁の叫びは続く。私の体に刻まれた傷は、いつの間にか数え切れないほどになっている。
それでも、私は微動だにしなかった。眼を瞑り、ただその時を待つ。
「……貴様ぁ、何故だ!!何故恐れない!!」
その問いに答える義務はない。答えても――――この男に分かるはずがないのだから。
「天切る」
一言ずつ、私は言葉を紡いでいく。それは彼を破滅へ導く、呪いの言葉。
彼のナイフが私の頬を切り裂いた。頬を血が伝っていく。それでも私は動かなかった。
「地切る」
そしてその言葉は、この男に殺されたであろう女たちへの救いの言葉。
剣仁は今屈辱に感じているだろう。彼が殺した女たちは、泣き叫び死んでいったのだから。
「悪しき祓え」
刀身が銀色へ輝く。周囲の空気が、刀の周りに渦巻いていく。
「泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け泣け!!!」
この男はただのフェミニストなのだ。女の泣き顔を見て喜ぶただの変質者。
この男には、制裁を与えなければならない。それこそ……私の手で。
「祓い給へ清め給へ」
その時この空間は全て私の手の中にあった。彼の動きが分かる。彼の動きに迷いを感じる。そして――――
「死ねや、このクソアマァァァァァ!!!!!!」
「破ッ!!!」
――――大気が、震えた。
彼の握るナイフが砕け散る。そして、私の刃は彼の心臓を貫いていた。
「な……ぜ……」
自分の死に疑問を感じる男の口から、言葉が紡ぎ出される。
それは、死に行く者の最後の言葉。
「な…ぜ……お前、は……恐れない……?」
だから、私は答えた。

「守るべき人が、いるから」
彼の体が、砂塵へと化す。それは哀れな男の最後だった。
――――この男には、分からないだろう……
刀身についたその粉を振り払うと、みる様と樹生の方向を向いた。
何もない空間、破壊された縁の向こうに砂塵が舞っている。
風に流れる微かな砂塵が、この戦いの終焉を表していた。



「悪しき祓え 助け給え」
蛾龍に殴られた腹の痛みがひいていく。彼女のこの呪は、傷そのものを無くすのだ。
オレは疲れ果て、地面に座り込んでいた。こんなに疲れたのは初めてだ。
「ゴメンナサイ、本当にゴメンナサイ……」
みるの大きな瞳からは、涙が溢れ出していた。まるでそれは自分を責めるかのように。
「みる様のせいではありません。みる様から目を離した和也と私の責任です」
右腕の傷を押さえながら、日向が優しく微笑む。
よく見れば、彼女はひどい有様だった。制服はズタズタに切り刻まれ、白い肌が露になっている。
所々切られてしまった制服も、血に紅く染まっている。そんな様子がすごく痛々しかった。
「……いつまで見ている気だ?樹生」
「え、あ、スマン」
いつの間にか彼女のそんな姿をじっと見つめてしまったらしい。日向が訝しげな視線を向けている。
「ちょっと待ってね、楓さん。今治すから……」
立ち上がり、密着しかねない距離でみるは日向の側に立った。
目を瞑り、呪を唱える。少しずつ切り刻まれた彼女の肌が元の姿に戻っていく。
「これでも着てろ。そんな格好じゃうろつけないだろ……まぁ、誰もいないけど」
そう言ってオレの制服を日向の上に着せてやる。そういえば、みるにも同じことをしたなと思う。
「……恩に着る」
軽く笑みを浮かべ、礼を言う日向。珍しく素直な彼女に、少し拍子抜けした。
そんな日向の様子をみるは少し羨ましげに見ていたようにみえたのは、気のせいだろうか。
「そういえば……誰もいないってどうゆうこと?」
みるがふと尋ねる。彼女はまだこの状況が理解できていないらしい。
「そのまんまの意味だよ。運動場見てみな」
「うん、いっぱい人いるよ……?」
「「え?」」
オレと日向の声が重なる。弾けるようにして運動場のほうへ視線を向けた。
そこには白球を追いかける野球部や、ボールを蹴り飛ばすサッカー部。その他たくさんの部活員が活動している。
それをオレは、信じられない気持ちで見つめていた。
日向も同じような心境だったのだろうか。驚愕を隠せていない。
「でも……本当にゴメンナサイ。私が勝手に一人で職員室に行ったりしたから……」
みるが目を伏せる。その場に沈黙が流れた。オレと日向が、情報を整理する間の微かな沈黙。
その彼女の言葉に僅かな突っかかりを覚えたのだ。
「職員室、だって?」
オレが尋ねると、彼女は首を縦に振ってそれを肯定した。
日向と顔を見合わせる。彼女もよく事情が飲み込めていないらしい。
「みる様、今日和也と図書室に行かれましたか?」
「え、行ってないけど……」
「校舎内に、人いたか?」
「ちょっとだけど……いることはいたよ」
オレ達がさっきまで過ごしてきた状況と明らかに噛みあっていない。
それはまるで、オレ達とみるが過ごしてきた世界が根本から違うかのようだった。
彼女は和也と共に図書室で勉強していたはずだ。そして、オレ達が見た限り校内には誰もいなかった。
しかし、みるが言うには彼女は一人で職員室に向かったらしい。そして、校舎には人がいた――――
「どうゆうことだよ……?」
「分からない。だが和也に事情を聞いてみる必要はあると思う」
「え、どしたの?二人とも……」
みるにはオレ達の会話が理解できていないらしい。当然だ、さっきまでオレ達がいた状況と彼女が言うそれとが違いすぎる。
「ちょっとおかしくないか?」
オレが呟く。その言葉に、日向が顔を上げた。
「何がだ?」
「みるが一人で職員室に向かっていたのなら、何故和也は図書室にいた?」
よくよく考えてみると、もし仮に二つの情報が正しいと仮定してもおかしい点がある。
それは、和也の存在だ。彼は守としてみるのことを守らなければならない。しかも今回の場合は日向がオレと一緒にいたということもあって、みるの側に必ずいなければならなかったはずだ。
つまり職員室に彼女が一人で向かうと言うことはありえないハズだ。
「なぁ、みる。そのとき和也は何をしてた?」
「え〜っと……確か教室で本読んでたよ。樹生くんも昨日見たでしょ?あれだよ」
少し考える素振りを見せてから、みるは答えた。
その言葉もおかしい。教室で本を読んでいた……とみるは言っている。
しかし、図書室で彼は確かにこう言った。
『何をしてるって……勉強ですやん』
あのときは慌てていたため、冷静にその言葉の意味を考えることができなかった。
そう、和也が勉強するなんてことは考えづらい。
オレの知っている『朝比奈和也』という存在から根本的に遠ざかっている。なら、彼は誰なんだ?
それは、きっと日向も同じ考えだろう。
そして、まだ謎は残る。
――――蛾龍と剣仁。何故彼らはみるを捕まえてすぐに帰らなかったのか。
黄泉の裔たちの目的は日神子である、みる……ではなかったのか。
あれではまるで、みるを捕まえたのはオレ達を屋上へ誘導するかのような行動ではないか。
「まさか……」
もし、図書室にいた和也が和也ではなかったとしたら?
もし、蛾龍と剣仁の目的がみるではなかったとしたら?
もし、「誰もいない」と感じたのは黄泉の裔の幻術のようなものだとしたら?
そして、それがオレたちをここへおびき寄せる為の罠だとしたら?
この仮説が確かなら、結論は一つへと辿り付く。


「ヤツらの狙いは――――まさか……」



To be continued…






あとがき
「SIN」勝手にChapter 3,5「宴 非 人 者 達・前編」いかがでしたでしょうか?
daikiです。テスト前がどうした!!かかってこいやゴルァ!!
すんません、ちょっと現実逃避入ってます(笑)
気まぐれで始めた「SIN」のSSなわけですが、すっかりのめり込んでしまって(ぉ
ちょっと世界観が変わってしまっているかもしれませんが、あくまでオレの考えるSINの世界なわけでその辺りは勘弁していただけると嬉しいのですが……(苦笑
だって、ぶっちゃけ蛾龍と剣仁なんてめちゃくちゃじゃないですか(汗
戦闘シーンなんかも結構気を配りました。樹生が力を発揮したのは、二章の終わりで見せたものを同じだと思っていただければ幸いです。
題名の意味は「人に非ざる者達の宴」の漢文訳です。題名つけるだけでかなり苦労しました。
位置的には題名前についてる「勝手にChapter 3,5」の名のとおり、三章と四章のあいだになります。
設定では、三章でみるが樹生を保健室に連れて行くが、樹生は悩みを話せなかった。
そして最後黄泉の裔が現れずに路地で別れた――――というふうになってます。
なかなか次回が気になる終わり方でしょう?まぁ、分かる方には分かると思うんですが(汗
続きはテスト後にでも書いていくつもりなので、楽しみにしていただけたら幸いです。
本音は、これ以上書いたら勉強できません(核爆
一応この作品は個人的な明さんの贈り物という形になっておりますので、もし掲載されたとしたら明さんに掲載しても大丈夫だと認められたということ……(ぉ
世界観があまりにも変わりすぎたら、載っちゃったらいろいろと不備があるかもしれませんので(苦笑
長くなりましたがこの辺りで失礼します。ではでは!!